――日本にも金利が生まれ、株価も過去最高値更新する水準まで戻ってきました。萩野さんは今の環境をどう見ていますか。
日本は新興国化している、というのが正直な感想です。足元、株高のみならず、対ドル以外の通貨に対しても円安基調になっています。こうした株高と通貨安の同時進行は、新興国によく見られる動きですし、1人あたりGDPも今では新興国並みの水準まで落ち込んでいます。
加えて、これは日本人の資産運用にも大きな影響を及ぼす重要な点ですが、インフレが進んでいることも、新興国化している理由の1つです。恐らく今後20~30年の間、年率2~3%程度のインフレが続くと見ています。
ピクテはスイスに本拠を構える会社ですが、220年前の創業当時から一貫して王侯貴族や富裕層の資産保全・運用を行ってきました。お客様のほとんどがスイス国外の方ですから、自国通貨が異なります。つまり各国の通貨ベースで資産を保全し、かつ増やすことが期待される中で、世界のお金の流れ、国ごとの経済情勢を常に見てきたのです。そうしたわれわれの眼には、今の日本が新興国化していると映るのです。

ピクテ・ジャパン 代表取締役社長
萩野 琢英氏
日系証券にてアナリスト業務を経てロンドン・ニューヨーク現地法人にて外国人投資家とのビジネス、ヘッジファンド運用を経験。2000年にピクテ入社、投信業務、投資顧問業務、商品開発、マーケティング業務に携わる。2007年からはマネージング・ダイレクターとして、グループ本社(ジュネーブ)にて商品開発、運営業務に従事。帰国後、2011年12月に日本法人の代表取締役社長に就任。ピクテ・グループ・エクイティ・パートナー。日本証券アナリスト協会検定会員(CMA)、著書に『211年の歴史が生んだピクテ式投資セオリー』
インフレ時代に問われる資産保全の視点
――デフレの時代しか知らない若い世代を中心に、「インフレが日本人の資産運用に影響を及ぼす」と言われても、ピンとこない方も少なくないと思います。具体的にどんな影響が想定されますか。
資産運用に関して、多くの日本人は株式をはじめとする有価証券投資が中心ですが、保有する全資産に占める有価証券の割合はせいぜい1割程度でしょう。しかも、日本人の資産運用は比較的短期的なトレードが中心です。そのうえ、実物資産を含むすべての保有資産について、その価値を保全するという意識がさほどありません。
この点、欧州の資産運用はトレードではなく、長期の資産保全に重きを置いています。株式などの有価証券だけでなく、建物や絵画などの実物資産、貴金属などすべての保有資産の価値が目減りするのを防ぐための資産保全こそが、重要視されるのです。
ただ、日本もこれからその方向に進む可能性が高いと見ています。それは前述したように、今後20~30年にわたり、年率2~3%程度のペースでインフレが進むと見ているからです。
これまで多くの日本人は、インフレ率が0%、あるいはデフレの世界で生きてきました。そうした環境であれば、資産の大半をキャッシュと生命保険で持っていれば何とかなりました。しかし、インフレ率が2%を超えてくると、真剣に資産の保全を目的にした運用が必要になります。当然、保有資産全体のリターンはインフレ率を上回らなければなりません。そのためにも、しっかりしたアセットクラスで分散投資することが大事です。
――では、何に、どう分散すれば良いでしょうか。
それを考えるためには今、どういう経済環境に置かれているのかを整理する必要があります。
第一は金利低下の終焉です。先進国を中心に1980年以降、金利は長期間、低下傾向をたどってきましたが、それはそろそろ終わりになるでしょう。
第二は日本の金利上昇です。それは日本政府の財政赤字に対する不安の現れでもあります。
そして第三が、なかなか悲観的な要素ですが、地政学リスクの拡大と帝国主義化です。その背景には貧富の差があると思われますが、この状況は1930年代以来の深刻さであると考えています。私自身、25年間ピクテで仕事をしていますが、ここまでピクテが弱気になっているのは初めてのことです。
インフレをカバーし、なおかつこういった経済環境のなかで、いかにドローダウン(資産の目減り)のインパクトを最小限に抑えられる資産を組み合わせるか、そこが大きなポイントです。
例えば株式の期待リターンが10%だとしても、ポートフォリオ全体に占める割合が20%だとしたら、それだけの率で上昇したとしても、ポートフォリオ全体のリターンを2%押し上げるだけです。
とはいえ、実際のインフレ率が5%程度だとすると、それを超えるリターンを実現するには、かなりの割合で株式に投資しなければなりません。ですが、すでにバリュエーションが割高であるとするならば、株式の銘柄分散のみで運用するのは、かなりリスクが高いでしょう。
だからこそ株式以外の資産にも分散する必要はあるのですが、金利が上昇しているとはいえ、債券の利回りはまだまだ低く、インフレリスクをヘッジできるほどのリターンを期待するのは難しい状況です。そうだとするならば、例えば金(ゴールド)のような株式・債券とは値動きの異なる資産の組み入れを真剣に考える必要もあるのではないでしょうか。
少なくとも今後10年を想定した場合、この2~3年が経済情勢の急変に備える、ドローダウンの小さなポートフォリオを構築し直す機会ですし、同時に、全資産の7~8割を運用しなければ資産を増やすことはおろか守ることすら危うい時代になると考えるべきでしょう。
――投資信託を運用する資産運用会社には近年、プロダクトガバナンス* 強化が求められています。資産運用会社のトップが果たすべき役割も大きく変わりつつあります。
これは非常に重いものになってくると考えています。特に個人資産の7~8割をお預かりして運用するとなれば、その人の人生を背負うのと同じ意味を持ちます。だからこそドローダウンを最小限に抑える運用が重要です。
2000年のITバブル崩壊や2008年のリーマンショックの後、株価が元の水準を回復するまでに何年も要しました。その間は、実質的に何も運用していないのと同じです。
その意味では分散投資は重要ですし、運用者としての経験値も大事ですが、運用者に何よりも求められるのは誠実さでしょう。誠実な担い手でなければ、自分の総資産の7~8割を任せようとはなりません。そのためには、目先の手数料欲しさで運用するのではなく、長期目線でしっかり成長してくれる資産を見つけて投資するのと同時に、日本のお客さまに対しては、円ベースでしっかり資産保全するためのポートフォリオを提案する必要があります。
そのために、特に私のような外資系運用会社のトップは、自らが運用やプロダクトにコミットし、自国のお客様のために誠実な活動を行う責任があるのです。
*プロダクトガバナンス:金融機関が顧客に提供する商品(投資信託、仕組み債など)の設計・開発、販売、運用、廃止に至るまでの「ライフサイクル全体」において、顧客の最善の利益に適うよう適切に管理・モニタリングを行う統治体制のこと。
高配当と安定性を狙ったグロインの設計思想
――そういう意味では、ピクテの代表的な投資信託である「グロイン(ピクテ・グローバル・インカム株式ファンド)」は萩野さん自身が開発を手がけたプロダクトだと聞いています。昨年、設定から20周年を迎えましたが、グロインの誕生エピソードを聞かせてください。
このファンドは世界の高配当利回りの公益株に投資しています。公益株とは電力やガス、水道など日常生活に不可欠なサービスを提供している会社の株式です。2005年当時、日本の投資信託のマーケットでは「グロソブ(グローバル・ソブリン・オープン)」の残高が5兆円を突破し、まさに一強時代でした。
その当時、地方銀行などの販売会社を通じて全国の個人のお客様と直接お会いする機会がありました。そこで何に投資しているかをうかがうと、多くの方が「投信はグロソブ、個別株は電力株」だったのです。
電力会社に代表される公益株は収益基盤が安定しているので、結果的に株価も安定しており、かつ配当利回りが相対的に高いのが特徴です。そのため、ドローダウンが相対的に小さく抑えられ、価格変動はバランス型のファンドに近いとも言えます。
そこで、日本の電力株より高い配当利回りが期待でき、しかも通貨分散も可能となる世界の公益株にフォーカスしたファンドを日本のお客さまにお届けしたいという思いで開発したのが、「グロイン」だったのです。
ちょうどその頃、ピクテが欧州で運用していたウォーターファンド(世界の水関連企業に投資するテーマ株式ファンド)が好調だったこともヒントになりました。
――その時々の流行り廃りに乗っかるテーマファンドも少なくない中、グロインは20年たった今も健在です。
今の投資環境に照らして言うならば、電力需要の増大は公益株にとって、大いにプラスでしょう。電力需要が増大しているのはAIのデータセンターが林立しており、それを稼働させるために電力が必要だからですが、これまで先進国で電力需要がここまで高まったケースは、ほとんどありません。こうした経済環境と共に、PERが低い銘柄を中心にしてポートフォリオを構築しているため、低いドローダウンと共に、そこそこのリターンを目指せる点が、このファンドの投資妙味を高めていると考えています。
ピクテが考えるオルタナ民主化の現実とは
――近年、日本でも「オルタナ資産の民主化」という言葉のもと、プライベートアセットに代表されるオルタナティブ資産を、限られた年金・機関投資家だけでなく、リテール投資家にも紹介する動きもあります。プライベートバンクの歴史が長いピクテにおいて、リテールビジネスにおけるオルタナ戦略の提供をどう考えていますか。
ピクテは1980年代からプライベートアセット投資に関わっていますが、正直なところ日本での展開は慎重に行うべきだと考えています。
プライベートアセットは本来、「10年間、何も文句は言わずに持ち続けてください」という商品性ですが、セミリキッドといって、流動性のない資産に無理やり流動性を持たせるタイプのプロダクトもあります。通常、このアセットで解約が生じた場合、それを転売する先の投資家とマッチングさせた瞬間、価格は3割下落すると言われています。
そもそもプライベートアセットをポートフォリオに組み入れる欧米の富裕層は、日本の富裕層とはケタ違いの巨額の資産を運用しています。その前提条件が大きく異なる以上、日本で「オルタナの民主化」を進めるにしても、そこにはかなりの困難があることを理解しておくべきでしょう。
――本日はどうも、ありがとうございました。