思ってもみなかった
「これは私のせい。今まで全然気にかけてなかったから。お父さんが、あんなふうになってるなんて……今日会うまで思ってもみなかったし」
声がかすれる。こみ上げるものを、どうにか堪えた。
父が老いたことを、本当の意味で受け入れられていなかったのは、静子も同じだった。
きっと、どこかで都合よく思っていた。実家に帰らなくても、父は元気でいてくれると。
「……静子」
浩平がそっと肩に手を置いた。その温かさに、静子の中で何かがじわりと溶けていく。静子は、目頭に滲んだ涙を指でそっと拭った。
夜風がひんやりと頬を撫でた。
こんなふうに、誰かと一緒に痛みを分け合うのは、いったいどれくらいぶりだろう。人と距離を置くようになっても、父が年老いて変わっても、家族の絆は変わらないし、変えてはいけないものだったのだ。
「……帰ろう」
兄が小さくつぶやいた。静子はうなずき、通りで呼び止めたタクシーに乗り込んだ。
走り出した車のなかで、静子は子どものころ家族で出かけた夜のドライブを思い出しながら目を閉じた。
実家に顔を出さない言い訳はいくらでもあった。仕事が忙しい、遠い、気まずい。でも本当は、変わっていく家族を見るのが怖かったのだ。老いていく父を、受け止める勇気がなかった。
やがてタクシーが実家に着き、静子たちは黙ったまま車を降りた。
リビングでは、まだテレビの音だけが響いていて、父は座椅子に座ったまま、またうつらうつらしている。