父親が「宵越しの銭は持たない」タイプになった理由
私は北関東の出身で、男ばかりの3人兄弟の末っ子として育ちました。私の父親も義両親と同じ昭和一桁世代ですが、生き方や考え方はほとんど真逆です。
父親は郷里の食品会社に勤めていて、定年直前には工場長でした。しかし、大のギャンブル好きで、週末になると地元の競馬場に通っていました。地元だけでは物足りず、新潟や函館まで足を延ばすこともあり、私も何度か連れていってもらいました。
麻雀も好きで、工場の麻雀仲間と年中卓を囲んでいました。工場の給料ですからレートは高くなかったでしょうが、ある程度はお金が動いていたように思います。今となっては“時効”ですね。
父は江戸っ子ではありませんが「宵越しの銭は持たない」タイプで、ボーナスが出た後などは気前よく部下におごりまくり、後で母が渋い顔をしていたことを覚えています。ただ、借金は大嫌いでギャンブルのためにお金の貸し借りをすることは一切なかったと聞きました。
父がそんな生き方を選んだ背景にも戦時中の体験があったようです。
父はいわゆる学徒動員で、軍用機工場で終戦前の数カ月を過ごしました。当時は周囲の大人や学校の先輩が次々と徴兵されていき、自身もいずれは戦場に出る覚悟をしていたそうです。ですから、先のことなど全く考えられなかったと言います。
それが突然敗戦を迎え、戦後の混乱の中に放り出されたことで「人間は大きな運命の流れを受け入れるしかない。それなら、好き勝手に生きた者勝ち」と考えるようになったとか。
そんな父ですから、亡くなった時に残したのは実家の不動産くらいでした。実家を引き継いだ長兄は「登記の費用くらい用意しておいてくれてもいいのに」と笑っていました。次兄や私はビタ一文もらっていませんが、それで文句があるわけではなく、むしろ親父らしいと納得したものです。
私自身は付き合い麻雀くらいでギャンブルは一切しませんが、父の価値観の方が、義両親のそれよりもはるかに共感できるものだったのは確かです。