熱心な倹約生活には過去の体験が大きく関係していた
義両親は区役所で働いていた元公務員です。2人合わせて月額40万円以上の年金を受給していたはずですが、とにかく使わないので預貯金の残高は増える一方でした。
8年前に義父が先に亡くなった際には、自宅を含めた相続税評価額が1億5000万円を超え、申告の手続きを依頼した税理士の先生から「区役所の一職員がよくここまで貯めたものですね」と驚かれました。
義母の相続税の申告はこれからですが、義父と同程度を申告することになりそうです。
ここまで倹約に熱心だった背景には、昭和一桁生まれの義両親の戦時中や戦後の過酷な体験があったようです。
義両親は共に東京生まれで、東京大空襲によって親戚や友人などを亡くしています。何よりも過酷だったのは戦時中から終戦直後の食糧難だったと言います。水ばかりの重湯を1日に1杯しか食べられない日々が続いたと聞きました。
そうした中で義両親は物を大切に質素に暮らす術を身に付けたのでしょう。見方を変えれば、究極のエコとも言えます。
しかし、そんな両親に育てられた妻はともかく、田舎から上京して東京で流行のファッションや音楽、レジャーなどを楽しみたかった私にとっては苦痛以外の何物でもありませんでした。義両親や妻の手前、外食や旅行もほとんどできず、好きな洋服を買う回数もぐんと減りました。