前回の記事「金融リテラシー度とウェルビーイング(幸福度)の不思議な関係(3)」を読む

変化が激しい時代の中で、会社の「パーパス(存在意義)」を定め、そのパーパスを実現するための経営戦略と結びつくような「付加価値」を生み出す人材の育成に、経営としてどう取り組んでいるか、すなわち「人的資本経営」に関する注目度がアップしてきている。

昭和の時代は「経済的な豊かさ」というシンプルな目標に向かって社会・会社・社員が連動することで、右肩上がりの経済成長を実現できたが、価値観の多様化が進み、社会や産業構造の変化・コロナを経て、人々の生活様式までもが大きく変化する「転換点」にある。こうした時代では、[図表1]の通り、「社会・会社・社員」の重なりの部分が小さくなるような「遠心力」が働きがちである。

[図表1]
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出所:三井住友信託銀行

三井住友トラスト・グループでは、そのような構造変化も踏まえて、「社会・会社・社員」をつなぐ共通価値としてパーパスを明確化している。「信託の力で、新たな価値を創造し、お客さまや社会の豊かな未来を花開かせる」というものである。

パーパスは各社各様であったとしても、パーパス実現には、社員の「内発的動機付け」が非常に重要であり、そのポイントは「ウェルビーイング」と「従業員エンゲージメント」の向上にある。

「ウェルビーイング」には「心身の健康(Physical Well-being)」だけではなく、さまざまな面で満たされた状態であることが重要だといわれている。例えば、米国ギャラップ社は「(心身の)健康」「キャリア」「コミュニティ」「ソーシャル」と並んで「ファイナンシャル」を構成要素として定義している。経済的基盤があることがウェルビーイングにつながり、また逆に、経済的な不安を感じている人は他のウェルビーイングに悪い影響を及ぼすことが報告されている。同社が調査・分析を行った「2023年 日本版Well-being Initiative-第2四半期」報告では、わが国においても「生活評価指数(ウェルビーイング実感)」の最大影響要因は(客観的な所得ではなく)「所得に対する主観的感情」であるという分析結果が示されている[図表2]。

[図表2]

出所:日本版Well-being Initiative(日本経済新聞社が公益財団法人Well-being for Planet Earth、有志の企業や有識者・団体等と連携して発足した団体)

また「満足度・生活の質に関する調査報告書2023 ~我が国のWell-beingの動向~」(内閣府)によれば、分野別の満足度と将来不安度の相関関係の分析で「家計と資産の分野における満足度」が「将来不安度」と最も負の相関係数が大きいと報告されている [図表3]。

[図表3]
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出所:「満足度・生活の質に関する調査報告書2023~我が国のWell-beingの動向~」(内閣府)を元に編集部作成

「お金に関する不安」にはさまざまなものがあると思われるが、三井住友トラスト・資産のミライ研究所のアンケート調査によれば、全世代において「老後資金」がトップとなっている [図表4]。

[図表4]
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出所:三井住友信託銀行
 
これらを考え合わせると、わが国における「生活評価指数(ウェルビーイング実感)」の向上には、「老後資金」の不安解消につながる「お金の健康(ファイナンシャル・ウェルビーイング)」が極めて重要な要素であるということになる。

「ウェルビーイング向上」の重要な分野が「ファイナンシャル・ウェルビーイング」であると捉えると、企業が従業員に対して実施する「ファイナンシャル・ウェルビーイング向上への取り組み」は、まさに「人的資本経営」の実践そのものである。

また、「老後資金」の不安解消につながる会社制度としては、退職金制度、企業年金制度(DB年金、DC年金)、財形制度、融資制度(住宅、教育など)、持株会、iDeCo、職場つみたてNISA、団体保険、健保制度など多種多様なものがある。そう考えると、従業員に対する「ファイナンシャル・ウェルビーイング向上への取り組み」として実践する「金融経済教育」では、公的年金や社会保障制度の仕組みを踏まえたうえで、「会社制度」の周知と活用を促し、そのうえで不足する部分を各種金融商品・サービスで補完するという全体像を示すことが“肝”になるように思える。

このような文脈で各種の「会社制度」を従業員が捉えるようになれば、従業員自身の「ウェルビーイング向上」に資する仕組みを、公的年金・公的保障を補完する形で「会社制度」として準備してくれているという発想につながり、「従業員エンゲージメント向上」にも資するはずである。

(※)本コラムの見解・意見に係る部分はすべて筆者個人のものであり、所属する組織の見解を示すものではない。