子供のためにお金を残す必要はあるのか
「地獄の沙汰も金次第」ということわざがあります。
一般的には「閻魔様のお裁きも金の力でなんとかなる」といった意味合いとされていますが、実際はそうではなく、「村の長者が亡くなった。本来、彼は地獄へ行くはずだったが、死ぬ直前にすべての財産を村人たちに分け与えたことから、天国へ行くことができた」という昔話に由来しているそうです。
また、「いくらお金を持っていても天国に行けるとは限らない。天国へ行きたいなら、お金は生きているうちによいことに使うべき」という意味だという説もあります。
正しいのはどちらなのか、私の知るところではありませんが、少なくともシニアには後者の意味を嚙みしめてもらいたいと思います。
お金が余っているのなら慈善団体に寄付を……とまでは言いませんが、あの世にお金を持って行けるわけではありませんから、生きているうちに有意義に使い切りたいものです。
ときたま、粗末な暮らしをしていた高齢者が亡くなった後に、自宅から驚くほどの大金や高額な美術品が発見されたというニュースを耳にすることがあります。
好きこのんで質素な暮らしをしていたのなら、それはそれで満足のいく人生だったかもしれませんが、金品を溜め込んで、それを守ることだけに腐心し、粗末な暮らしを余儀なくされていたのだったら、その人の人生は満ち足りていたとはいえないでしょう。
私の周辺にも似たような話があります。これは後輩のドクターから聞いた話です。彼の義父は遠方に住んでいたこともあって、彼とはあまり交流がありませんでしたが、質素な人だったそうです。いつも擦り切れたような服を着ていて、質素というよりも貧しいといったほうがぴったりの人だった、と彼は言います。
「ぼくは何度か『援助しましょうか』と言ったのですが、受け入れてもらえませんでした。どうしてだろう。そんな意固地にならなくてもいいのに……と思いましたが、援助を断った理由が義父が亡くなった後でわかりました」
一人娘である彼の奥さんが遺品を整理していたところ、億を超える預貯金があることがわかったというのです。
「通帳の近くには『娘へ』という義父のメモ書きがありました。それはぼくも見ています。でもそれは遺言としては通用しませんよね。現に今、親戚の間でそのお金のことで揉めまくっていて、妻は大変な思いをしています」
「子供のため」と思って残したお金がもとで骨肉の争いが起こるとは皮肉としか言いようがありません。
後輩ドクターが話してくれたこの例からもわかるように、「子供のため」と思って爪に火をともすような生活を送っていても、その思いが子に伝わるとは限りません。また、伝わったとしても、その人がすんなりと遺産を手にできるとは限りません。
むしろ子供は、親が生きているうちに最大限人生を楽しんでくれることを望んでいるのではないでしょうか。「子供のため」という気持ちは捨てて、お金も時間も有意義に使いきってしまったほうがいいのかもしれません。
相手が孫だとしても、それは変わりません。
●第3回(人間関係にも悪影響が…お金をケチる中でも“絶対にタブー”なことは)では、老後“真の意味で”大切なものは何か、そこに対してお金を“ケチる”デメリットを解説します。
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