・検察トップによる前代未聞の犯罪…身内の「起訴猶予」に世間は猛反発

「結果が出なくても努力することに意味がある」、野口英世の人生を知るとそういうふうに思えるかもしれません。彼は功績の多くが後に否定されますが、現在でも偉大な人物として世界中で愛されています。

5月21日は野口英世が亡くなった日です。今日は野口英世の人生と、2024年から新千円紙幣の肖像に採用される北里柴三郎について学びましょう。

紙幣にもなった野口英世の偉業

野口英世は1876年、福島県に生まれます。幼少期に左手に大やけどを負い手指が癒着してしまいますが、手術で不自由ながらも動かせるようになったことに感激し医師を目指したとされています。

1911年、野口英世は「梅毒スピロヘータの純培養に成功」と発表したことから世界的に名を知られるようになりました。1914年と1915年にはノーベル医学賞の候補にも選ばれます。

野口英世のエピソードで最も有名なものは黄熱病の研究でしょう。1918年にエクアドルへ渡り、現地での研究を基にワクチンが作られました。この集団接種によって南米の黄熱病は収束したとされ、野口英世の名がさらに世界中に知られるようになります。このとき3度目のノーベル医学賞の候補に挙がりました。

野口英世は主に海外で研究を続け、他にもポリオや狂犬病などさまざまな病原体の特定を発表します。最後にはガーナで黄熱病にかかり亡くなってしまいますが、その功績は現在でも色あせていません。