新千円札の北里柴三郎はどんな人?

野口英世は2004年から千円紙幣の肖像に採用されていますが、2024年からは北里柴三郎にデザインが変更される予定です。

北里柴三郎は野口英世の師匠にあたる人です。1898年に北里柴三郎が所長を務める研究所に野口英世が入所しました。1900年に野口英世がアメリカへ渡った後も論文をやりとりするなど師弟関係は続きます。

北里柴三郎は1889年、世界で初めて破傷風菌の純粋培養に成功し、さらに血清療法という破傷風の画期的な治療法を開発した人物です。血清療法は現在でも破傷風の治療に用いられています。

1894年には日清戦争直前の香港でペスト菌を発見し、1899年にペストが日本に上陸した際は治療とねずみの駆除(ペストの発生源と考えられている)を徹底的に行いました。ペストは現在でもアジアやアフリカなどで発生していますが、日本で根絶されているのは北里柴三郎の功績が大きいといわれています。

北里柴三郎のエピソードは「脚気(かっけ)菌論争」が有名でしょう。脚気とはビタミン不足で起こる疾患で、白米食が進んだ江戸時代に流行したことから「江戸わずらい」とも呼ばれていました。日清戦争では約4000人、日露戦争では約3万人の病死者が出ますが、その多くは脚気だったと考えられています。

当時の日本に医学研究施設は東京大学しかなく、そこでは脚気は細菌によって引き起こされるという説が支持されていました。北里柴三郎の師匠にあたる人物も「脚気菌」の発見を発表しています。

しかし、北里柴三郎は実験を行い「脚気菌」とされる菌と脚気は無関係であると発表しました。師の主張を弟子が否定したのですから、北里柴三郎は「忘恩の徒」とのそしりを受けてしまいます。北里柴三郎は師匠であっても忖度しない、学問に忠実な研究者だったようです。新紙幣の発行まで時間はありますが、もし手にすることがあればこのエピソードを思い出してみてください。

出所:北海道立衛生研究所 北里柴三郎と森鷗外とノーベル賞と

執筆/若山卓也(わかやまFPサービス)

証券会社で個人向け営業を経験し、その後ファイナンシャルプランナーとして独立。金融商品仲介業(IFA)および保険募集人に登録し、金融商品の販売も行う。2017年から金融系ライターとして活動。AFP、証券外務員一種、プライベートバンキング・コーディネーター。