データよりも身体の声を聞くことが大事

医者のほうも、データばかり見ていると、確率的にあなたはこうだから、この治療が最善です、終わり。というようなことになってしまいます。

本当は治療しながら仕事を続けたいとか、家族との関わりとか、患者個人の事情をよく聞き出して、それに沿って治療方針を決めることが大事なのです。中川さんはそういうタイプの医者ですが、データに乗っかって楽をしている医者が圧倒的に多いような気がします。

統計的データは、あくまで判断材料の1つです。今後、医療システムの中にAIが本格的に入ってくるはずですが、事情は変わりません。

もしも最終的な判断をAIに預けるような医者が出てきたら、どうしようもありません。

身体がある状態を示す要因は複合的です。健康診断や人間ドックで、まったく異常が見つからなかったのに、突然倒れてしまうことがあります。

血圧とか血液検査の数値とか、身体の状態から情報化されるのはほんの一部です。だから、予想外の病気が見つかることがあります。私のような胸の激痛がまったく出ない心筋梗塞もその1つでしょう。

数値に目を奪われていると、健康のためにはそれだけが重要なことのように思われてきます。健康診断に一喜一憂する人は、この罠にはまっているといえます。

もちろん、私のように健康診断を受けないことを勧めるわけではありません。ただ、データさえ見ていれば病気にはかからない、という論理に囚われないようにする必要はあると思います。なかなか難しいことではありますが。

自分の身体の異変に気づいて、例えばがんかもしれないと思ったとき、ネットで検査して、「万人に1人」という数字が出てきたとします。確率が低いので、「これは違うな」と思うかもしれません。身体に異変を感じていながら、それを無視する結果になるので、これは危険です。

私がさんざん悩んだ末に病院に行くことにしたのは、体調が悪くてどうしようもなかったからです。前述したように、病院に行く前の3日間は眠くて眠くて、ほとんど寝てばかりいました。それが身体の声だったのでしょう。

動物は意味ではなく感覚だけで生きています。猫が日当たりのよいところにいるのは、そこにいるのが気持ちよいからです。すべての猫を見たわけではありませんが、少なくともうちの猫(まる)は正直です。そこにいたいからそこにいる。身体の声に従って生きているのです。

ただ、身体の声を聞こえるようにするには、自分が「まっさら」でなければなりません。私は花粉症がありますが、症状がひどくても、これまで薬は飲まないようにしてきました。薬で症状を抑えてしまうと、身体の声が聞こえなくなるのではないかと思うからです。

しかし、今回のように病院に行って、医療システムに取り込まれてしまうと、医者が出す薬を飲まないわけにはいきません。退院後は仕方がないので、処方された薬を毎日きちんと飲んでいます。身体は自分だけのものではないので、これまた仕方がありませんね。