確定拠出年金制度がスタートして20年、その黎明期からかかわっていた筆者からすると、企業年金制度におけるメインの制度として企業型だけでも現在750万人以上の加入者がいる制度になったことは大変感慨深いものがあります。今回は、先行して普及した企業型DCの黎明期の話を中心に振り返ってみたいと思います。

自分で年金資産を運用するというこれまでにない制度の誕生

制度がスタートした2001年はバブル崩壊の傷が10年を経過してもまだ癒えぬような市場環境で、企業年金についてもかつてのような運用が難しくなり、各社それなりの積み立て不足を抱えていました。そこへ退職給付会計が適用され、企業債務として「積立不足」を開示しなければならなくなり、企業型確定拠出年金制度(以下、企業型DC)の「将来の積立不足」を発生させないという点が注目されるようになりました。

ですから財務的な、ある意味経営側主導で導入されることが大変多かったのです。そんな中、経営も社員(労働組合)も、そしてそれをサポートする運営管理機関の側にとっても最もハードルが高かったのが「社員にみずからの年金資産を運用してもらう」というミッションを達成することでした。

2001年当時、多くの方が「株式」というものはNTTの上場やバブル崩壊などというニュースとともに耳にしたことはあり、価格が変動するということはなんとなく知っていたように思います。

一方、確定拠出年金のメイン商品である「投資信託」という商品は、日本版ビックバンの一環として銀行の窓口でも取り扱いが始まっていましたが、買おうと思うと目論見書レベルの膨大な説明を1時間以上は聞かねばならないと大変不評で、まだまだ、一般の方が気軽に買うような金融商品ではありませんでした。

そんな中で、普通のサラリーマンに、投資信託等を活用した運用ということができるのか? そんな不安が渦巻いていました。そして、それと同じくらい社員たちに大事な年金資産を想定利回り以上に運用してもらって安心な老後を送ってほしい、という熱い想いが当時の関係者の間にはありました。

受け取る側目線の情報提供への転換

社員の方にきちんと理解してもらって商品を選択していただかなければならないと、制度がスタートした2001年当時の説明会は半日に及ぶものでした。投資の基本から各商品ひとつひとつを丁寧に説明していました。今思えばわからない話を延々と聞かされて拷問に近い状態だったと思います。

その後、2002年のトヨタ自動車の導入教育でDCの加入者教育は一変しました。本業の生産に影響させず、8万人の社員に全員履修させるため出された要望は、説明会は50分(現場に戻る時間を含めて1時間)、テキストは社員に読んでもらうために文字は3行以内など従来の金融機関の発想ではあり得ないものばかりで面喰らいました。

しかし、そんな泣き言は言っていられません。8万人の方に自分に合った資産配分をして頂かねばなりません。何を伝えるべきか、その本質をつきつめ、大胆に枝葉末節はそぎ落とす作業を半年近く行い、現在どの運営管理機関でもよく使われているようなテキストが出来上がりました。

このことは、DC以外の一般の方に金融機関が投資信託を販売する際の説明資料などにも大きな影響を与え、全てを網羅的に小さな文字でダラダラと説明するのではなく「見てもらう」方を意識して、重要なことは大きく、さらにイラストなども使って解説するように変化していきました。

現在、ごく普通のサラリーマンが投資信託を資産運用のひとつの商品として当たり前のようにとらえるようになってきた背景には、ネット証券の台頭やつみたてNISAのような非課税制度、投信ブロガーによる発信などとともに、実は企業型DCを通じて投資信託を知り、実際に保有して(または同僚が儲かっているのを見て)得た経験を通じた学びが大きく寄与していると私は考えています。