インベストメント・チェーンを通じた好循環の実現
古澤氏 次に、2つ目の背景が、「インベストメント・チェーンを通じた好循環の実現」です。先に述べた家計の観点での話とともに、企業との関係では、対話を通じた企業価値の向上という観点、この両方を組み合わせることで、成長資金がきちんと企業サイドに循環し、その成果が、利払いや配当、さらには株価上昇を通じて、家計に還元される。マクロ経済的に、この好循環の実現が大きな目標になり、双方が全体で組み合わさるとの視点が重要です。
そこで、金融仲介の担い手に求められるのは、成長資金をどう提供するかとの目線です。例えばそれはIPO前の企業に対する出資かもしれないし、企業のライフステージに応じた、企業の業態見直しかもしれない、あるいは、リストラクチャーに対する資金供給やアドバイス、そういった目利き力を働かせてリスクに応じたプライシングをすることかもしれない。これらにより、経済の好循環につなげるとの視点が大切です。
このような金融仲介においては、以前のようにメインバンクが貸し出しや保有株式を中心にガバナンスを利かせるのではなく、機関投資家のスチュワードシップと、それから企業のディスクロージャーやコーポレートガバナンス、これをセットにした対話によって企業価値の向上を図る、こういった活動の比重が高まると思います。
坂本より 資金不足の経済では、「預金-銀行-融資」という経路は比較的短くシンプルともいえますが、資産運用を中心にキャピタルマーケットを介していくとなると、そのプロセスの中で機能発揮の担い手は様々存在することになります。その様々な担い手が適切に機能を発揮することが、多様な金融商品を顧客のライフステージに応じて提供すると同時に、金融仲介の結果としての果実を家計の方に戻していく前提となる。インベストメント・チェーンの前提としての顧客本位の意義も、理解できました。
そして、時代の変化の中で、金融庁として金融行政の目的をあらためて明確化された。それは金融機関の検査や監督ではなくて、まさに持続的な経済成長と企業価値の向上の実現、そしてそれらを通じた国民の厚生の増大。そのためには、金融利用者の保護や金融システムの安定から更に進んで、顧客本位の業務運営と持続的な経済成長を両立させる。FDと持続可能なビジネスモデルというのはまさに一体のものということを、金融行政としてメッセージを発してきたことを、あらためて認識しました。
制度設計における変化
古澤氏 それから3番目が、「同一の機能や同一のビジネスには同一のルールを適用」という考え方です。これはどういうメッセージかというと、従来は、銀行、証券、保険といった業態あるいはそこで提供される金融商品ごとにルールを考えることも多かったわけですが、最近は、金融商品が、家計に対してどういう「機能」を提供するのかを、より重視するということです。
一例が「外貨建て保険」です。制度上の枠組みは保険商品ですが、実際の販売の現場、お客さまから見てどういう機能を持って、その商品が提供されているか。保険商品として販売されているわけですけれども、中身を見ると、例えば外国債券部分が相当あり、投資信託を運用している部分があり、そこに保険の機能も付加されている商品といえます。
この商品に関する取扱いや規制あるいはディスクロージャーの在り方について、購買者の目線で考えると、外貨に対するエクスポージャーを有する貯蓄性、あるいは運用機能を有する保険として提供されるのであれば、運用商品としてどういうディスクロージャーが行われるべきか、どういうお客さまに対して販売が行われるべきか、それをベースにして、保険という要素があればその説明をアドオンする。こういう発想が、より必要となると考えられます。
「同一の機能には同一のルール」というアプローチは、最初から銀行、証券、保険という業態を前提にするのではなく、顧客に提供する機能、例えば運用の役割を果たすものであれば運用、リスクヘッジならリスクヘッジという機能をベースに、説明責任なりディスクロージャーなりを考えていく。こういうアプローチであり、顧客の視点に基づくFDの考え方にもつながります。
前回の連載の中で出ていた販売代理か購買代理かということでは、家計のサイドに立った、家計の最適化を図るためのエージェントなのかどうかということで、右を向くのか左を向くのか全く違ってくるという発想にもつながるものです。
坂本より いまのお話を聞いて、金融商品が多様化し、インベストメント・チェーンの中でさまざまな金融機能をさまざまな存在が担うということになってくると、かつては、銀行は銀行商品をこう取り扱うべき等々、非常にシンプルにその業態を見ていけば事が足りていたところが、業態を前提にした縦割りの物の見方や対応ができなくなってきたということで、同一の機能には同一のルールというアプローチへと、必然的にそうなるものと思いました。