笑顔の裏で続く母の咳

居間に入ると、懐かしい光景が広がっていた。少し日焼けした畳に、生前、父の定位置だった座椅子、棚には家族写真も飾られている。

「お茶を入れるわね。ちょうどお菓子も買ってあるの」

「いいよ、お母さんは座ってて。私がやるから」

「せっかく来てくれたのに、悪いわね」

「これくらい任せてよ」

母を座らせ、遥花は台所でお茶を用意した。急須や湯飲みも昔と同じ場所にあり、迷わず取り出すことができた。2人でお茶を飲み始めると、母は近所の話や最近見たテレビ番組のことを次々に話してくれた。

「それにしても、直接来てくれるなんて思わなかったわ。本当に嬉しい」

「私も久しぶりにゆっくり話したかったしね」

「そういえば、あんたがまだ小学校に上がる前、私の誕生日ケーキを自分が作るって言い出したことがあったわね」

「ああ、覚えてる! 結局、ほとんどお母さんが作ることになったんだよね」

「そうよ。全部私にやらせるんだから。あんたは大得意だったけどね」

当時の記憶がよみがえり、2人は顔を見合わせて笑った。母は話の途中で何度か咳き込んだ。そのたびに遥花は様子をうかがったが、母は何事もなかったように会話を続けた。

しばらくして、母が湯飲みを手に立ち上がった。

「お茶のおかわりを入れてくるわね」

「私がやるから、座ってて」

「大丈夫よ。これくらい……」

言い終わらないうちに、母が激しく咳き込み始めた。

「お母さん?」

母は胸元を押さえ、苦しそうに息を吸った。咳はなかなか治まらず、呼吸も次第に荒くなっていく。遥花が駆け寄って背中をさすると、母は何か言おうとしたが、声にならなかった。

「お母さん、しっかりして! 私の声、聞こえる?」

ついに母の膝が折れ、その場に崩れ落ちる。遥花は慌てて体を支え、そっと床に寝かせた。すぐにスマートフォンを取り出し、救急車を呼ぶ。電話口で状況を伝えながらも、遥花の手は震えていた。

「お母さん! お母さん……!」

●離れて暮らす71歳の母・祥子の誕生日に電話をかけ、苦しそうな咳が気になった遥花。週末に実家を訪れると、母は以前よりやせ、息苦しそうな様子を見せながらも「大丈夫」と繰り返していたが、親子で過ごす最中、突然激しく咳き込みその場に崩れ落ちてしまう…… 後編【「実は行くのを控えてたのよ」救急搬送された71歳母…医療費不安のきっかけはまさかの“ニュース”】にて、詳細をお伝えします。

※複数の事例から着想を得たフィクションです。実在の人物や団体などとは関係ありません。