夏休みの朝、厚美は落ち着きなく何度もキッチンとリビングを行ったり来たりしていた。

一方、高校1年生の娘・友莉は薄手のTシャツにハーフパンツという動きやすい格好で、フローリングにカバンを広げている。帽子、タオル、日焼け止め。厚美が手渡した水筒まで詰めると、満足そうにファスナーを閉じる。

「飲み物、それだけで足りる?」

厚美が尋ねると、友莉は顔を上げた。

初バイトへ向かう高校生の娘

「向こうでも補充できるって。休憩スペースにウォーターサーバーもあるらしいよ」

「そう。でも忙しくても、ちゃんと飲みなさいね。休憩も遠慮しないで取ること。気分が悪くなったら、我慢しないですぐ言うのよ」

「分かってる」

友莉は苦笑しながら、テーブルの上のトーストを口に詰め込んだ。

今日は、地元の海水浴場にある海の家でのバイト初日だ。クラスの友人と一緒に自転車で向かうという。

厚美も、求人内容には事前に目を通していた。所在地や営業時間、運営元を調べ、地元で毎年営業している店だということも確認した。目立った悪評はなく、勤務も夕方まで。友人と一緒なら、働くことを止めるほど危険な場所ではないと判断している。それでも、実際に友莉が家を出る朝になると、次々に心配事が浮かんだ。

「帰りが遅くなるなら、必ず連絡して。それと、お客さんに連絡先を聞かれても教えちゃ駄目だからね」

「もう分かってるって」

「でも、初めてのアルバイトでしょう。海の家っていろんな人が来るし」

「一緒に働く子もいるんだから大丈夫。初日からそんなに心配しなくてもいいでしょ」

友莉は少しうんざりしたように肩を落としたが、厚美は、まだ言い足りなかった。帽子は休憩中も外さないこと、荷物は目の届く場所に置いた方がいい、誰かに車で送ると言われても絶対に乗ってはいけないこと……。しかし、その1つひとつを口にすれば、友莉の表情がさらに曇ることも分かっていた。

「そうね……」

自分が心配性なのは、厚美自身が一番よく知っている。だから友莉が高校生になってからは、必要以上に干渉しないよう努めてきた。今回も、事前に確認すべきことは確認したのだ。あまりに母親が過保護では、いつまでも娘が独り立ちできなくなってしまう。

そう自分に言い聞かせ、厚美は口をつぐんだ。

「じゃあ、行ってくるね」

友莉は鞄を肩に掛け、玄関で靴を履いた。

「うん。行ってらっしゃい」

扉が閉まると、ほどなく外から友莉の明るい声が聞こえた。家の前まで迎えに来てくれた友人と合流したらしい。厚美は窓辺へ寄り、カーテンの隙間から、2人が自転車に乗る姿をそっと確かめた。そのまま外へ出て、もう一度声をかけたくなる。だが厚美は窓から離れ、テーブルに残った朝食の皿を片付け始めた。