入園式に出たいと言い出す初枝
3月に入ったばかりの日曜の午後だった。
百合子はダイニングテーブルで幼稚園から届いた入園案内の書類を仕分け、サインが必要なものを次々と夫の康介に渡していった。隣に座る優斗は、買ったばかりの三角色鉛筆を握りしめ、白い紙に丸をいくつも重ねて描いている。
「ゆうくんも、もうすぐ幼稚園だな」
ボールペン片手に康介がそう声をかけると、優斗は紙から顔を上げてにっと笑った。
「そうだよ。ゆうくん、ようちえんせいになるの」
「先生の話、ちゃんと聞けるかな」
「きけるよ」
そのやり取りに、入園準備で疲れ気味だった百合子の肩から少し力が抜けた。しかし、玄関のチャイムが鳴った途端、穏やかな時間はあっけなく崩れた。
「はあい」
扉を開けると、案の定初枝が立っていた。いつもと同じ、予告のない訪問だった。百合子の案内も待たずに靴を脱いだ初枝は、ずかずかとリビングに入っていく。
「母さん、どうしたの? 何か用?」
「失礼ね。ゆうくんの顔を見に来たのよ」
そう言って優斗に笑いかけ、それからすぐにテーブルの上の書類へ視線を落とす。
「あら、もう準備してるの」
「入園が近いので」
百合子が答えると、初枝は当然のように椅子を引いて座った。
「じゃあ、ちょうどよかったわ。入園式のこと聞こうと思ってたの。私、何時に来ればいい?」
康介が一覧表をたたみながら言う。
「式は親だけらしいよ。会場が狭いから」
「親だけ?」
その瞬間、初枝の声のトーンが変わった。
「そんなの、建前でしょう。私も行くわよ」
「無理だよ、母さん」
「何が無理なの。私は祖母よ」
「お義母さん、園の決まりなんです。親のみ参加って、はっきり書いてあるので」
「でも、あなたたちだけじゃ心配だもの。写真だってちゃんと撮れるの?」
「大丈夫だよ。俺と百合子で行くから」
康介がそう言っても、初枝は引かなかった。
「だいたい私は親も同然でしょ。誰よりこの子のことを気にかけてきたんだから」結婚したときには、あれほど自分とお腹の子を拒んでいたくせに――そう言い返したい言葉が、喉元までせり上がる。
「気にかけてもらってるのは分かってます。でも、親は私たちです」
声を抑えて言うと、初枝は不満そうに口元をゆがめた。
「そう……私をのけ者にしたいのね」
その後も初枝は食い下がったが、康介が「とにかく式は3人で行くから」と繰り返すと、ようやく口をつぐみ、文句を言いながら帰っていった。
彼女の背中を見送ったあとも、百合子はしばらく玄関から動けなかった。ドアから目を離した瞬間、初枝が舞い戻ってきそうな気がしたからだ。
