実家に向かうと
それからも1日に何度か桃子からの連絡は続き、とうとう根負けした明子が実家に顔を出すと約束させられたのが週半ばの水曜日。そして週末の今日、明子はボックス席でデザイン案のラフスケッチを作りながら、実家へ向かう列車に揺られている。
とはいえピンとくるものは思い浮かばない。母の泣き姿を夢に見た日はいつもそうだ。仕事には身が入らず、集中力は続かない。途中、何度かうたた寝をし、このままだと週明けの忙しさに泣きを見るのは自分だと喝を入れ、しかし結局集中できないまま、列車は実家の最寄駅に到着してしまう。
降り立った駅は殺風景なせいか余計に寒かった。駅前にあった商店やチェーンの居酒屋はなくなっていて、だだっ広い駐車場になっている。時折すれ違うまばらな人はみんな後期高齢者で、見える景色は全体的にざらついて、グレースケールをかけたように味気ない。
明子は大人の特権で、徒歩だと40分近くかかる道のりをタクシーでショートカットする。実家のある住宅街まで行けばさすがに見慣れた風景が広がるけれど、やはり全体的に彩度が下がったような気がしてわびしい気分になった。
タクシーを降り、実家の門扉を開けて中に入る。そもそも入院だってしていないのだから、母の状態は大したことがないのだろう。顔だけ見せてすぐに帰ろう。そう思っていた明子は、居間で座椅子に腰かける母を見つけるや絶句した。
誰? と言わなかったのは、大人のマナーである以上に、本当にそこに座っているのが誰か分からなかったからだ。
母らしき老婆と目が合う。お互いに言葉は発さない。落差のある視線を斜めに交錯させたまま、明子も母も黙っていた。
「あ、明くんお帰り」
やがて何でもない様子で、桃子が明子を出迎えた。結婚して子どもも2人いる桃子だったが、2人が気まずくないよう、明子の帰省に合わせて自分も帰ってきてくれていた。
やがて困惑の表情を向ける明子に合点がいったらしい桃子は「お茶出すから手伝って」と半ば強引に明子を台所へと連れていく。
「何あれ、どういうこと?」
「美容整形。お母さん、明子が出てってしばらくしてかな。50手前くらいで、シワが気になる、たるみが気になるって言い始めて、最初はボトックスとかリフトとか、簡単なのだったんだけどね。鼻中隔延長とか、豊胸とか、二重切開とか、もういろいろ。お父さんが遺したお金がんがん注ぎこんじゃって大変だったんだから」
「……いくらかかったの?」
問題はそこじゃないだろうと思ったけれど、理解が追いつかない明子はそう尋ねるのがやっとだった。桃子は「えーっとね、鼻中隔延長が80万、豊胸は脂肪注入だから100万、二重が30万くらいだったかな」と、小さい頃からやけによかった記憶力をいかんなく発揮して現実味のない金額を並べ立てている。
明子は台所と居間を仕切る珠のれんの隙間から、変わり果てた母の姿をのぞきこむ。よく見れば辛うじて面影くらいは感じられるかもしれない。けれど丸まった背中で座椅子に座る母はやはり別人にしか思えなかった。
●母の変わりようもあってか、二人の間にぎこちない空気が流れる。そんななか明子の脳裏に浮かんだのは、母と疎遠となるきっかけでもあり、桃子が明子のことを「明くん」と呼ぶ要因となった24年前のできごとだった。後編:【「自分は男だ…」娘の告白に母は青ざめ号泣…以来24年疎遠だった二人が思い出の場所を訪れて気づいた「家族の正体」】にて謎が明らかになる。
※複数の事例から着想を得たフィクションです。実在の人物や団体などとは関係ありません。