学費はすでに支払われていて
「え……?」
スマホを握りしめた夏海は耳を疑った。
『ですから、川野結子さんの入学金はもう支払いいただいています』
結子のデータを調べてくれた大学の事務員が、当たり前のようにそう告げた。
「え、いや、でも……私、まだ振り込んでいないんですよ!」
焦りのあまり、思わず大きな声を出してしまう。何に焦っているのか、あるいは怒っているのか、自分でももうよく分かっていなかった。
『はい。ですが、何度も確認しましたが、確かに支払い期限内にお支払い済みです。なのでご安心してください』
「はぁ……」
夏海は訳が分からないまま電話を切った。まだ手は震えているし、心臓は激しく脈打っている。しかし支払いが済んでいるという事実は徐々に安堵を引き連れてきて、夏海のひざは骨が抜かれたように身体を支えられなくなり、座り込む。
何度か深呼吸をしていると、少しずつ気持ちが落ち着いてくる。
「どうした? 気分でも悪いのか?」
土曜の朝から部屋で持ち帰ってきた仕事をしていた信一郎がリビングに出てきて眉をひそめている。
夏海でないならば、入学金を振り込める人物はたった1人しかいなかった。
「もしかして……あなたが、入学金を振り込んでくれたの?」
信一郎は冷蔵庫から麦茶を出し、コップに汲んで喉を潤す。やがて表情をわずかに
崩して言った。
「気づくのが遅い」
「どうして……? 入学金の話なんて1度もしてなかったのに……」
「話さなくたって、娘の入学金の支払い期限くらい知ってるさ」
信一郎はソファに深く腰掛け、少し視線を落とした。
「あなたは……結子の受験に興味がないんだと思ってた。何も聞かないし、何も言わないから……」
「結子には……できるだけプレッシャーを与えたくなかったからな。俺が変に口を出したら、かえって邪魔になると思ったんだ」
意外な言葉に、夏海は思わず聞き返した。
「……邪魔?」
「ああ、俺は専門卒だ。大学受験の苦しさなんて知らない。中途半端に励ましたら、鬱陶しいだろう」
信一郎は穏やかな声で言った。
「でも……応援の言葉くらいかけてもよかったんじゃないの? 結子、寂しそうだったわ」
「表立っての応援は十分、夏海がやってくれてたからな。俺は陰からこっそり見守っておくくらいでちょうどいいと思ったんだよ」
そう言って立ち上がり、財布を持って戻ってきた信一郎はなかからお守りをかかげて見せた。
「ほら、合格祈願のお守り」
信一郎は、ずっと家族を思っていた。夏海が気づかないところで、言葉ではなく行動で。
「……私、ずっと勘違いしてたのね。ごめんなさい。それに、本当に……ありがとう」
その言葉を口にした瞬間、胸がじんと熱くなった。
「おう」と照れくさそうに頷いた夫の横顔が、いつもより少しだけ優しく見えた。