子供が自立心のある成人として育つ基盤は家庭
経済的な事情もあり、子供を持たなかったり、持っても最小限の人数にとどめたりする家庭が増えている。子供の数が少なければ、子供に対して過保護になってしまう家庭が増えるのは、自然の成り行きかもしれない。しかも、高齢化の中、祖父母も長生きだ。数少ない子供に向かう関心、お金、世話焼きなどが膨らむ一方だ。
自立心を育てる家庭教育が徹底しているとされるアメリカでさえ、大学授業料や住宅費の高騰などで、大学生となった子供を金銭的にバックアップし続けたり、世話を焼き続けたりする親が増えたようだ。子供の住んでいる所にまで足を運び、炊事や洗濯にとどまらず、公共料金まで支払う親がいるという。絶えず子供に構うため、ヘリコプターのごとく子供に付きまとうという意味で「ヘリコプターペアレント」とまでいわれる。
しかし、親はいつまでも生きているわけではない。過酷な世間の波を乗り越えていくのは、子供本人に他ならない。社会の一員としての役割を果たせるよう、自立心を植え付けることが何より大切だ。放任過ぎるのも良くないが、関与し過ぎるのも良くない。関わり方も、まさに中庸を目指すべきであろう。
祖父母の役割も大切だ。孫かわいさに過剰に世話を焼いたり、金銭的補助をし過ぎたりすると、孫の自立心をそぐことになる。子育て中の子供も、自分たちの親が孫には甘いということを見越して、金銭的な補助を求めることが多いようだ。しかし、「ねだられ貧乏」という言葉もある。老齢期のために準備していたはずの、自らの医療や介護の費用を使い果たし、途方に暮れる老夫婦が増えている。注意したいものだ。
甘やかし過ぎたことから、親が退職した後も子供がらみで精神面や金銭面で苦労する姿を数多く見てきた。筆者が20代の頃には、大企業の中には引退時に、企業年金だけでなく貸家を1軒持つことが可能なほどの退職金があり、年金以外に家賃収入も期待できるほど恵まれた人がいた。ところが、そうした環境にありながら、事もあろうに貸家に住まざるを得ない事態となり、なおもほそぼそと働きながら、子供に悩まされ続ける老夫婦がいた。
子供に世間の厳しさを早めに体験・認識させることは、自分にとっても子供にとっても幸せな将来につながるようだ。