10月17日は、天皇がその年の新米を伊勢神宮に供える五穀豊穣の感謝祭“神嘗祭(かんなめさい)”に当たる。これにちなみ、勤労の収穫と考えられるお金を大切にしようとする趣旨から、1952(昭和27)年10月17日に「日本貯蓄増強中央委員会」(現在の金融広報中央委員会)が発足した。この発足日を“貯蓄の日”と設定した。
コツコツと積み重ねる天引き貯蓄に勝る王道なし
筆者が入社した当時、上司から貯蓄の指針として給与から10%、ボーナスからその半分を貯蓄するように助言されたものだが、公的年金の行く末など将来への不安からか、低成長が長引く見通しからか、若い人の貯蓄率は、随分と高まったようだ。
金融広報中央委員会の最新調査によると、20代の単身世帯がボーナスを含む年間の手取り額から預貯金、投資信託、株式投資などへの貯蓄に回した比率は、平均で18%だ。しかも、“30%以上35%未満”の人が約1割、“35%以上”の人が2割弱もいる。
アメリカで資産形成の大きな柱となっている401(k)制度では、拠出の基本となる従業員拠出と、これに上乗せする事業主拠出のマッチング拠出を合計しての15%が一般的な貯蓄目標になっている。アメリカと比較しても、日本の若年層の貯蓄率はかなり高い。
アメリカでは、1990年代に401(k)の資金が株式市場に大きく流れ込んだことで、株式市場が盛り上がり401(k)加入者の資産も増大した。自信と希望を持った加入者がさらに資金をつぎ込み株式市場がさらに躍動するという好循環が見られたが、日本での再来を期待する人もいるのではなかろうか。企業サイドでも、環境保全とデジタル革新など時流に即した果敢な投資が拡大する機運があり、一大転機になって欲しいものだ。
毎年の貯蓄目標を守り抜き、機を見ての株式投資により、現在価値で100億円の財産を築いた人がいる。東京大学教授で日比谷公園などの設計に携わった「公園の父」とも称される本田清六氏だ。
同氏は、株式市場が大暴落となった1923(大正12)年の関東大震災後に、蓄えた資金を株式につぎ込み、その後の株価反発で大きな財産づくりに成功した。60歳の退官時には子供に財産を残すと子供が不幸になるとして、そのほとんどを匿名で寄付したことでも知られる。
本田清六氏の毎年の貯蓄目標は、通常の所得の25%と臨時収入の100%を貯蓄するというものだった。臨時収入には貯蓄に伴う利子を含むものであり、現在と比較してはるかに高かった金利(ちなみに、1915<大正4>年の郵便貯蓄の通常貯蓄の金利は4.8%)による収入も臨時収入として扱った。今は、課税優遇の確定拠出年金には、年末調整による還付金という臨時収入がある。本田清六氏にならって、この臨時収入は100%の貯蓄としたいものだ。
また、低金利のため金利面での資産増殖を期待できない今の時代には、課税優遇の制度こそフルに活用することが望まれる。せっかくの確定拠出年金やNISAの課税優遇措置を生かし切りたい。