2024年7月23日、当時の岸田内閣での閣議決定によって改正された道路交通法施行令が今年9月1日に施行される。この改正施行令の第11条に、一般道路を通行する際の最高速度が定められている。図表の「5」に示した部分が、俗に生活道路と呼ばれるため、「生活道路の制限速度引き下げ」の部分にフォーカスして報じられることが多い。
警察庁の統計によると、車両の走行速度が時速30㌖を超えると、一気に致死率が上昇する。そこで、歩道と車道が分離されず横断歩道がないことから、歩行者と自動車の遭遇率が自ずと高まる生活道路の制限速度を一律に引き下げたと解される。施行後の死亡事故の発生件数や発生率は、著しく低下することが期待される。
本稿の記述目的は金融実務者等への注意喚起であるため、記載内容はマイナス要因の抽出が中心となる。他方、筆者自身は交通事故に遭遇した経験もあることから、本件引下げに特段反対しているわけではないことを念のため申し添える。
本題に戻る。生活道路は中央線(センターライン)などのない道路全般に該当するため、全国の一般道のおよそ7割ほどを占める。制限速度の引下げは、救急車・消防車などの緊急車両を除き、バスなどの公共交通や自家用交通を問わず、全車両に等しく適用される。一時的なものでなく恒久的措置のため、影響も自ずと広範囲に及ぶ。
最初に連想されるのは、走行車両にもたらされる影響だ。時速30キロメートルにリミッターが設置されている原動機付自転車を除き、一般的にはアクセルを踏めばそれ以上の速度が出せるため、走行速度を30キロメートル以下に抑える制御が必要となる。トランスミッションがオートマチック車や連続可変トランスミッション車(CVT車)の場合は、30キロメートル前後での走行が増えると、加減速の都度変速機がギア比・変則比を頻繁に切り替えるため、クラッチなどの作動回数が増加する。
マニュアル車の場合も、時速30キロメートル付近は2速あるいは3速での走行が中心になり、60キロメートル付近の走行に比べ、シフトやクラッチ操作の頻度が増える。結果として、長期的にはクラッチやギアボックスへの負荷が嵩み、部品交換などの修理を余儀なくされることになる。有り体に言えば、車検時などに部品交換を要する可能性が高まるだろう。
石油系燃料で動く自動車の燃費消費は、一般的に時速70~80キロ付近で燃料消費効率が最も高くなる。低速では逆に燃料消費効率が低くなるため、消費するガソリンなどの分量が増加するだろう。この結果、様々な価格に運送費用が上乗せされ、インフレ要因となる。
次に、用途や状況別で影響を掘り下げたい。事業者で最も影響を受けるのは、就業時間中に最も車両を運転する運輸業、中でも宅配や「ラストワンマイル」部分を担う物流業等になろう。
2025年度の産業別労働時間では、「運輸業、郵便業」が最も長時間(全体1位)となった。内訳では、特に所定外労働時間が長く、それが全体1位をもたらした。これらの背景に人手不足があることが容易に連想される。
生活道路の制限速度引下げは、そうした苦しい人繰り状況の下でもたらされる。結果として、目的地までの到着時間を長期化させるため、配送時間の遅延のみならず、労働時間の長期化圧力にもなる。
荷主などの督促によりやむなく60キロメートルで走行したり、生活道路を幹線道路と誤解して60キロメートルで走行したりする状況を警察に摘発されれば、30キロ以上の速度超過となり、いわゆる一発免停となる。その結果、運転者不足に拍車を掛けかねない。誤解を怖れずに言えば、今回の制限速度引下げは運送業、とりわけ小規模運送業セクターにとって逆風となろう。
同様の事態は、訪問介護サービス等にももたらされる。デイサービスは、被介護者の自宅まで赴くことが日常的なため、経路に占める生活道路の比率も自ずと高くなる。結果として、訪問できる件数が減少すれば人手不足や収益減などをもたらそう。
消費者目線で見た影響も大きい。まずもって連想されるのは一般乗用旅客自動車運送事業、つまりはタクシーだ。生活道路を経由した走行に時間を要することとなるため、その分だけ利用料金が嵩むようになる。このセクターも、ただでさえ逆風の中にあるため、利用者離れがますます進む要因となりかねない。香川県のうどん巡りや山梨県甲州市勝沼のワイナリー巡りなど、生活道路を含む地域をタクシーで訪れる観光需要にも、マイナスの消費マインドをもたらそう。
タクシー料金以上に高価となる運転代行業にも、同様の影響が当然にもたらされる。2名の運転者が必要であることから、運転時間の長期化はより大きなコストアップ要因となる。それゆえに、料金に転嫁せざるを得なくなる。
しかしながら、利用者目線では「引っ越したわけでもないのに料金が値上がりする」ことへの抵抗感は小さくないだろう。それゆえに需要にも当然に負の影響を与えるため、自動車通勤者の多い地域のほか、駅などから離れた場所にある酒類提供飲食店街などに大きな打撃となろう。長期的には、運転代行業と補完関係にある飲食セクター全体へのマイナスも小さくないだろう。
制限速度の引下げは、運送コストの上昇要因となるため、「宅配形式でしか購入しないもの」の価格などに転嫁される可能性がある。米・水・家電などに代表される嵩や重量があるものが連想されるほか、生活道路を経由して過疎地を巡回する移動販売車なども連想される。冬場の東北地方や北海道など豪雪地帯には、巡回形態で灯油を販売する実情も認められる。これらの多くが小規模小売セクターに属するが、インフレによる逆風の中、さらなるコストアップ要因に苦しむ先も現れてくることだろう。
最後に視点を個人運転者目線に移す。国土交通省は車両所有者に占める個人・法人の割合を公開していないが、自動車業界紙に掲載された大手組立メーカー幹部の談話では、国内での個人名義の保有車両と法人名義の保有車両の割合は、およそ7対3の模様だ。
2020年の国勢調査では、通勤手段に「(四輪の)自家用車のみ」とした比率は約50%で、全ての手段で最も多くを占めた。自宅から自家用車駐車場まで自転車で行く経路、駅の駐車場まで自家用車を運転する経路など、他の交通手段と組み合わせた自動車利用者も含めれば、通勤に自家用車を利用する割合は半数以上となるだろう。
これら2つの実情からは、制限速度引下げの影響が、マクロ的には日常の通勤にもたらす影響が極めて大きくなることを意味しよう。国土交通省の「令和3年度全国都市交通特性調査」によれば、自動車運転ありの通勤の平均は、ア)平日平均移動距離12.0キロ、イ)平均移動速度時速22.1キロ、ウ)平均所要通勤時間男性31.1分となっている。
このデータをもとに、「通勤距離12キロのうち主要幹線道路8割・生活道路2割を走行」「制限速度引下げ前の走行速度は全域時速22.1キロ、生活道路の制限速度引下げ後は走行区域のうち生活道路部分について時速22.1キロの半速で走行」というごく簡単な試算を行った。結果は、制限速引下げに伴い、6.52分通勤時間が延びる形となった。
ざっくり言えば、平均的な通勤経路での試算では、制限速度引下げに伴って通勤時間が10分弱ほど長くなることを意味しよう。
同じ経路を運転しながら、朝の出勤時間が10分早くなり、夜の帰宅時間が10分遅れることへの負担感は極めて大きいことが想像に難くない。既婚者で子供が小さければ各種の送迎など、親族などが高齢化し在宅介護を行っている場合にはデイサービスへの送迎などが必要なことも多いが、それらを出勤時間とやりくりしつつ対応している世帯も多い。通勤時間の長期化は、これらへの影響をもたらすことになろう。
結果として、衣食住のうち、特に「食」と「住」にまつわる変化の契機となる可能性がある。後者の住については、幹線道路から比較的近い物件への転居だ。物件が山間部などに集中している不動産賃貸セクターにとって、逆風となろう。
前者の「食」についても、充当時間の縮小が意識されるようになるだろう。端的な事象は、自動車通勤の復路の途中で寄っていたスーパーマーケットへの訪問頻度の減少だ。
相対的に資金需要が強いセクターゆえ、担当されたご経験を有する読者もいらっしゃると思うが、スーパーマーケット(SM)セクターでは、マーケティング用語が多用される。1990年代にアメリカの通信販売業界で自然発生的に使用されるようになった「1注文あたりの平均売上額(Average Order Value:AOV)」とリピート率の双方を高めることで、売上げを伸張させる手法などだ。
制限速度引下げに伴い、運転に時間を要するようになったことで、スーパーマーケットで食品に値引きシールが貼られる特売時間に間に合わなくなる事態が見込まれる。その結果、現役世代のスーパーへの訪問頻度が低下する事態が見込まれる。つまるところ、リピート率の低下だ。
そうした中で従来どおりの時間帯に値引きシールを貼れば、購買力が低く正価品の“ついで買い”のないリタイヤ後のシルバー層ばかりに購入されてしまう可能性がある。AOVの低下だ。その一方で、値引きシールを貼る特売時間を遅らせれば、その時間に対応するパートやアルバイトを確保し人件費を充当する必要がある。いずれにしろ、スーパーマーケットセクターへの逆風に他ならない。
ざっと挙げただけでも、影響はかなり広範囲に及ぶ。今回挙げたセクターの中に注意を要する与信先などがある場合には、中長期的な影響を改めて注視されたい。

