金融庁の新体制は日銀の岡山支店長経験者の屋敷利紀氏が総合政策局長に昇格する一方、財務省の最有力課長ポストの秘書課長を務めた伊藤豊氏は監督局長に留任となった。これで同庁の3つの局長ポストのうち、2つを財務省と日銀の出身者が占めた。残る1つの企画市場局長には総合政策局長の油布志行氏が異動。井藤英樹新長官の下に財務省、金融庁、日銀の代表選手がそろい踏みするかっこうだ。
人事、それも霞が関最高幹部の人事は実力本位、人物本位でなされるべきで、実際にそうなっていると信じるが、国家権力の中枢を担う地位だけに話はそう簡単ではない。「極めて身近で人間的な問題」も垣間見える。
真のサプライズ屋敷局長、カードローン問題を乗り越えて
栗田照久氏が1年で長官を退任したが、冷静に見れば既定路線だろう。本人が「1年でよい」と語ったからではなく、インタビューなどの受け答えから資産運用や市場関連の政策に明るいようには見えなかったからだ。資産運用立国路線を推し進めるならば、今夏での交代はやむを得なかったろう。
今回の人事で本当のサプライズは屋敷氏の局長就任だ。日銀出身で庁内に寄る辺(採用担当の総務課長が長官になっているとか)ない身で局長の椅子を射止めた。しかも、屋敷氏には「武勇伝」が多い。仕組み債の撲滅運動での活躍は記憶に新しいが、それ以前から「人に圧を掛けるのが特技」と自らを語る同氏は逸話に事欠かない。
平成の終わり頃の話になるが、マイナス金利に苦しむ銀行、特に地銀がカードローンに血道を上げた時期があった。無論、この商品は適法だが、地域に根差す銀行が「サラ金まがいの商売をするとはいかがなものか」との声が挙がり、ブレーキを掛けることになった。
商品は適法だが、取り扱いが不適切という構図は仕組み債と同じだ。そして、カードローン推進に待ったをかけたのも屋敷氏だ(それもかなりの圧で)。その結果、目論見通りカードローン事業は推進力を失っていったが、金融機関から「態度が高圧的過ぎる」と苦情が入り、髀肉の嘆(ひにくのたん)をかこつことになった。
その同氏が復活したのが仕組み債への対応だ。屋敷氏は総合政策局長としてモニタリング部門(旧検査局)を率いる。腕の振るいがいがありそうだ。仕組み債は片付いたが、外貨建て保険や毎月分配型投信のあり方など業界の改善点は多い。
伊藤氏留任は「政局動乱」が響いた?財務省周辺の見方
2024年の金融庁人事を巡ってかなり早い段階から「長官は伊藤氏が本命」といった話を耳にした。財務省で同期のトップが就く秘書課長を務めたことで分かるようにその手腕は折り紙付きだ。「貯蓄から投資へ」の理念に共鳴し、自ら手を挙げて金融庁に移ったとされることも支援材料だろう。
他方、霞が関界隈では有名な話だが、同氏は財務省の秘書課長として「モリカケ問題」の対応に奔走した。この経歴が吉と出るか凶と出るかは分からないが、人にいえないほどの苦労をしたのは確かだ。それもあって同氏に同情する向きは多く、金融庁に移った時は「将来の長官含み」との位置付けだった。
ただし、迷惑を掛けた張本人がいなくなり、その仲間も四散したいま、後ろ盾を失った感は否めない。
同氏を巡ってはもう1つ気になることがある。この春に「とある賢人」と会った際、たまたま金融庁人事の話になった。「本命伊藤」の評価を尋ねると「財務省育ちの伊藤は、ワキの甘いところがある」という。どういう意味かと聞くと「業者との付き合い方を知らない」とのこと。一部の週刊誌が同氏の交遊関係を報じたことがあった。その後は続報もなく、あまり問題視されなかったが、懸念材料には違いない。
〝NISAの生みの親〟油布氏は企画市場局長に、最後のピースをはめ込むか
3局長のうち事実上の金融庁生え抜きは油布企画市場局長だけだ。これまで同局の企業開示課長、審議官を歴任し、コーポレートガバナンス・コードやスチュワードシップ・コードの策定を主導した。
前者は上場企業が持続的な成長を目指すための行動規範、後者はそうした動きを支援するための機関投資家の行動規範で、両者とも現在の金融庁の施策を先取りするものだ。
さらに時間をさかのぼれば、2012年夏の税制改正要望(当時は旧民主党政権下)で始まったNISA創設では総合政策室長として実務を取り仕切った。資産運用立国プランなどの推進を担う企画市場局のトップにうってつけの人材だろう。
内閣官房に設置された新しい資本主義実現会議が指摘したインベストメントチェーンの残された「2つのピース」、つまり資産運用業とアセットオーナーシップの改革が強力に推進されることを期待したい。
また、アセットオーナーの改革はDCやDBの運用体制や年金運用業界の慣行を問うことになる。テーマによっては省庁間の役割分担など神経質な問題もあり、慎重なかじ取りを迫られそうだ。
金融庁は「植民地」か、霞が関の人材の宝庫か
次期長官の有力候補が他省などから提供されることで、かつての経済企画庁のように旧大蔵省の「植民地」といった印象を持たれるかもしれない。あるいは、日銀も含めて外部から実力者が集うことで人材の宝庫とみることもできる。
植民地と見なされるか人材の宝庫といわれるかはトップの存在感が大きい。たとえば、井藤氏はある時点からメディア対応に慎重になったと聞く。その時から長官就任を意識していたのかもしれない。だが、既に結果は出た。これからは多士済々の役所を引っ張るトップとして積極的な対外発信を望みたい。