育成したDX人材は何処へ行ったのか
前回の「DX人材をどう育てるか?」では、人が育つサイクルを①目標設定、②OJT・OFF-JT、③評価・報酬、④アスピレーションの活用に分解し、それぞれのプロセスで取り組むべきポイントを解説した。早くから育成に取組んできた金融機関では、一人前のDX人材が徐々に育ってきている頃だろうか。
しかし、各社の実態を見ると必ずしも育成後の人材活用はうまくいっていないように見受けられる。例えばとある金融機関では、Aさんが社内でも希少なLv.5(高度なプロレベル)として認定されたが、その後、他社へと転職してしまった。退職理由は「自社には自分の活躍できるDX案件がないこと」であった。同社内のLv.3(一人前レベル)のBさんは生成AIを活用した新規事業プロジェクトの候補になったが、現業が多忙なために上司によって「DX案件への従事は当面NG」フラグが付けられている。このままだとBさんも転職を考えないか心配だ。
せっかく育成・認定した人材が社内で活躍できていない・流出してしまうのはなぜだろうか?
“ジョブ”の課題
DX人材のような専門人材が社内で活用しきれない、あるいは定着しない問題は、旧(ふる)く日本の雇用制度・マネジメントがメンバーシップ型であることに起因する。社員は集団的に雇用され、個人の職務範囲や職責・役割はあいまいな中で組織目標の達成へ協力・貢献する姿勢が求められ、事業環境に応じて発生した仕事にその都度、柔軟に合わせるように教育・登用されてきた。それがIT技術の進展に伴う専門人材不足が顕著になり、ジョブ型への転換を迫られてくると、前回までにご紹介してきた「DX人材として専門性・ケイパビリティを定義して認定する」までは実現できているケースも多いが、「ジョブ」側は変化が進んでいない。専門人材の能力に応じた頻繁な異動や担当の設定が想定されず、事業部門がサイロ的に優秀な社員を抱え込んでしまったり、人手不足の部署への補充が優先されたりと、異動を受け身に捉えがちで、配属された部門の中で徒弟的にジェネラリストを再生産し続ける仕組みから脱却しきれていない。
そもそも案件が存在しない
流動性を上げる異動のルール化をすれば解決するかといえばそうではない。DX人材の活用における最大の難所は、そもそも案件自体がいまだ少ないということだ。異動のルールを見直す機運が高まらないのも、その必要性に乏しいためである。
新しく不確実な取り組みであるDXにおいては、「大規模で安定したプロジェクトが潤沢にあり、常にどこかのポジションが空いている」「必要な人材タイプと、プロジェクトが求める人材が質量ともに合致している」という場面は極めて少ない。
専門人材を育成して一人前になるにはおよそ4~6年、自社内で継続的な育成サイクルが定着するには10年ほど要するとされている。一方、一般的な中計では3年、事業計画では半期や四半期での計画が求められるため、確実な案件が優先され、将来必要になるかもしれない案件や人材への投資は後回しとなってしまう。肝心の中計もDX戦略は謳(うた)っているが、具体性がなく計画化・案件化が進まないといった声が後を絶たない。ポーターの戦略論をはじめ「日本の企業には戦略がない(だからトップダウンマネジメントが効きづらい)」という見方もされてきたが、DX戦略の司令塔が存在しない日本企業は現場で案件が自然発生するのを待ち続けるしかないのだろうか。解決には新しい発想が必要である。
人材がジョブを生む、という逆転の発想
新しい発想――。それは必要な案件が発生したら人材を配置するのではなく、人材が案件を創るという考え方である。
“DX戦略不在”というと、経営者にとって耳の痛い話のように聞こえるかもしれないが、何も戦略はトップ独りで決めるものではない。トップダウンの方針が現場に落ちるころには遅きに失していたり、現場から離れた本社の企画部門の策定したあるべき姿や大方針が顧客の実態から乖離(かいり)していたりすることも多い。一方、デジタルを使い複数の知恵や着想が掛け合わさって生まれる案件ならば、細部にわたるこだわりが多様な顧客のニーズに対応していなくてはならないはずだ。
そのためにはまず専門人材を“集める(プールする)”ことだ。斬新な発案や難解な課題解決、またそれらを強力に計画化・実行まで持っていくためには、どんなに優秀でもわずかな人材だけでは難しい。現場においてはジェネラリストたちが担う確実な案件と将来必要になる案件の優劣を比べられては後者が日の目を見ることはないだろう。
プロジェクトを生み出すために専門人材に集結してもらう発想でよくあるのは「デジタルラボ」や「CoE」のような専門組織を組成する例だろう。なお、CoE(Center of Excellence)とは、専門人材・ノウハウを集約させた組織や集団のことである。初期構想の策定ならストラテジスト、顧客ニーズの具現化ならUXデザイナー、ツールの全体設計ならアーキテクト…といったように、各フェーズで必要な専門性は異なる。また、各人の持つ機能や能力がサイロ化しないよう、現場や案件への参画後は可能な限り垣根をなくしていけるとよい。例えば、ストラテジストが描いた戦略の技術的なフィージビリティをエンジニアが確認してフィードバックする、といった、従来の組織では生まれづらかった人材同士の協働作業の結果、DXの種を芽吹かせることが可能になり得る。
DX人材当事者の本音
ここで、本稿の冒頭に登場したBさんのDX人材育成プログラムへの参加から離脱までの体験を見てみよう。ITの機能子会社出身のBさんはIT知見と長いPM経験で養ったコミュニケーション力を買われ親会社勤務となった。いよいよ大規模な先端案件に関われるかと期待に胸を膨らませていたが、配属先で任されたのは旧来のシステム保守であった。
そんな中、BさんはDX人材育成プログラムの募集を目にする。元よりデジタル分野には関心が高かった。ITの知見は徐々に廃れていく危機感があった。いち早く新技術を学びつつ、「システム側の人間」からビジネス寄りへ役割を拡げたい野望があった。そこで「ストラテジスト育成コース」へ応募を決意する。
IT経験の長いBさんは、認定に必要な資格を既にいくつか取得していた。本当はストラテジストに必要な事業戦略に関わるOJTに挑戦する必要があったが、すぐに現業を離れ別の仕事をすることが難しく、やむなく通信講座で代替した。無事「ITストラテジスト・Lv.3」の認定を獲得できたBさんは、事務局から認定の通知メールと、達成のインセンティブとして一時金を受け取った。
しかし、1か月もたつと自身がDX人材たる実感が薄れてきた。Bさんが「ストラテジスト・Lv.3」だということを周りの誰も知らず、話題にも挙がらない(直属の上司でさえ、忘れているように見える)。相変わらず、皆の目に見えるBさんの肩書は「システム運用管理部/主任/システム保守のPM」だ。処遇もその延長線上に過ぎず、翌年度の昇給も僅かなベースアップのみであった。一方、社外の転職サイトと見ると「ストラテジスト」には高額な条件が提示されているようだ。
Bさんは不満を燻(くす)ぶらせていた…努力したこの1年は何だったのか?認定を得たところで、肝心の仕事役割にありつけず、処遇も改善されない。上司に掛け合ってみても、「気持ちは分かるが、もう少し今のポジションで我慢して欲しい。ベンダー各社をうまく管理してくれるのはBさんだけだ。そもそも目ぼしいDX案件も無いし…」といった調子で言いくるめられてしまった。誰かに相談しようにも育成コースを一旦卒業した今、事務局とのパイプも途絶えてしまった。
最後の手段と社内の公募ページを訪れるも、仕事や役割は書いてあるがストラテジストとしてのどのスキルを求めているのか、今のキャリアをさらに成長させられるのかの記述もなかった。Bさんは仕方なく「企画」と名のつく部署を当てずっぽうで希望した。これでダメだったら辞めよう…Bさんは胸の内で決意を固めていた。
その一方で、皮肉なことに、AI新規プロジェクトの担当者が「戦略人材が足りない…Bさんが有力候補だが、“異動NG”フラグが付いているからダメそうだ」と、冒頭の通り残念がっていたのである。
活用の仕組みを用意する
滑稽でもったいないケースだが、金融機関においては(特に規模が大きいほど)良く見られる光景ではないか。このBさんを正しく活用するために、同社は何ができただろうか?ポイントは3つの「仕組みづくり」だ。
① 周囲も変わる仕組み(Bさんは専門家として認定され続ける必要があった)
ケイパビリティを保有した社員はその能力・成果が継続する限り継続的に報われなくては、いつかは組織を離れてしまう。一時的なインセンティブは効果が薄い。DX●●人材として社内プラットフォームに認定バッジを掲示する等、いつ誰が見ても当人の専門性・レベル感が分かるオープンな運用が望ましい。一時金の支給に留めるよりは、市場価値に照らした適正な報酬制度のレーンに載せたり、成長や成果に応じたインセンティブの設定をしたりする方が本質的だ。また金銭だけではなくキャリアでも報われる(例えば、より優先的に希望案件にアサインされる)といったルールがあれば、スキルアップに取り組んだかいもあるはずだ。
② モニタリングの仕組み(Bさんは専門性を発揮する機会を組織に与えてもらう必要があった)
育った人材が適切な案件に配置されているかは、現場に任せきりにせず育成の推進主体がモニタリングする必要がある。前述の通り、ジョブ型に移行しきれておらず旧来の組織(部署)単位のガバナンスが強い場合には尚更だ。放っておくといつの間にかDX専門家といえども現場の繁忙に埋もれてしまう。ジョブ(DX組織や案件)と人材(育成した人材タイプ・レベル)とを可視化しながら、必要に応じて異動や配置を促す制度を強化すべきだ。
③ ①②を効果的に行うための仕組み(Bさんも、組織も、使いやすいツールが必要だった)これらの仕組みはアナログで対応しようと思うと難易度が高い。社員数が多いほど、タレント管理は煩雑になる。Excelファイルで「DX人材名簿」を作成し、メールで更新を求める運用では、多様なタレントの可視化や改善のための示唆抽出は進みづらい。一人ひとりに異なるケイパビリティを可視化、育成計画の管理やスキルアセスメントの更新、ケイパビリティを案件と結びつけるアサインマッチング、配置・活躍状況を全社視点で評価するダッシュボード、といった機能を包括的に備えたツールを整備していくことは不可避である。
”デジタル組織”の失敗 仕組みや制度があっても回らない
DX人材をプールしたCoEを設置し、周囲も含めて専門人材として扱い、タレント・プラットフォームでモニタリングしていれば、人材は活躍できていただろうか?最後に一つ、落とし穴がある。
「デジタル組織」を立ち上げたが、いまひとつ振るわない―業界ではこうした声がよく聞かれるようになった。デジタルに長けた技術人材・アイデアに優れた企画人材を集結させても、PoCどまりで形にならない、現業との兼務者のコミットが薄く空中分解してしまう、といった問題が生じ、なかなか全社のDXを継続的に牽引するには至らないようである。仕組みや制度だけを用意しても、仕組みを回す燃料としてのガバナンスの問題だ。
組織のあり方、ガバナンスを変える
ここで言うガバナンスとはDX組織・人材を動かすための統制や管理のあり方だ。ポイントは3つ、a)意思決定を促すスキーム、b)柔軟性のある予算、そしてc)変革を支える意識醸成である。特に金融機関においては業界柄、従来の厳格なガバナンス手法が足枷となりやすいことに注意したい。
DXでは既存踏襲ではなく不確実な将来に対して思い切った判断をする必要がある。既定路線を重んじる稟議プロセス・手順や決裁者の多重階層がDXを阻む場合には、これらを見直すことも必要だ。
bの予算についても、不確実な案件に投資することへの不安から、従来と同程度の規模となることもあるだろう。しかし既存の安定事業と同じ範囲・水準で予算配分を行っていると、必然的に小さくまとまりがちである。例えば対顧客に大きなインパクトを及ぼし得る斬新なアイデアよりも、社内の小さなBPRがいつも優先される、といったことになってしまう。なお、BPR(Business Process Re-engineering)とは、業務プロセスや制度等を抜本的に見直し、業務の再設計・効率化を図ることである。挑戦的なDX案件には別の予算枠を設定しておくことも一考である。
「上意下達を重んじる(意見や発案を気軽にできない)」「リスクより安定を優先する(失敗が許されない)」「伝統や慣習にしたがう(新奇性・多様性を受容できない)」といった硬直的な文化が先行すると、互いに遠慮や牽制しあって先進的なアイデアは生まれづらい。トップから現場まで、このような意識を変えていく必要がある。
リスク偏重の反省から安定性を重視し、歴史を重ねてきた金融機関ほど変えることは容易ではないだろう。変革のポイントはまた次稿で踏み込んで解説していきたい。
【事例】製造業X社の事例
案件を組成する人材プールをつくり、機能させる仕組み・制度とガバナンスを両立させている事例はまだ多くはない。こと金融業界においては、前項のガバナンスの問題もあり難航しているようだ。ここでは先行する他業界でDX人材の活用を進めている例をご紹介する。
製造業X社では海外企業の参入により既存製品の売上に影が差していた。製品の品質は十分に維持向上しているが競合製品の魅力的な価格や広告宣伝に押されており、顧客とのデジタル接点を強化して製品をより身近に感じてもらえるようなアイデアが必要だった。
社内でDX案件を立ち上げるには専門人材も限られていたため、一極に集中させるべく専門組織を立ち上げた。DXのノウハウも不足していた為、社外パートナーにも協力を仰いで人材を集めた。専門組織への異動には所属元部門から抵抗もあったが、将来事業を牽引する先進組織として社内向けの周知・啓発活動を積極的に行い、将来の幹部候補も含め体制を固めた。企画・マーケティング人材は社内で手配したが、データサイエンティスト等自社になかったケイパビリティ補充のためには外部人材を受け入れた。
人材をプールした後、DX人材の育成・管理や報酬の制度を確立させた。既存の人事制度に引きずられることなく、専門人材に特化した仕組みを用意した。そのため、人材が流出しづらく組織内で育成プロセスが完結でき、数年後にはそこで育った人材やノウハウを既存事業部門に還元できるほどに成長した。
当該組織では生まれたアイデアを素早くビジネスに昇華させるスキームも用意した。社長直轄の位置づけで、意思決定プロセスを簡素にして予算確保も柔軟に行えるようになり、実行障壁が取り除かれた。現場とのコミュニケーションハブも担保し、現場の要望をDX専門組織が吸い上げ実現したことで全社での変革機運も高まりさらに案件が拡大・推進することにつながった。
DX人材の活用に成功したX社であったが、数年経過した今、新たな課題に直面している。専門人材が現場から徐々に乖離しはじめ、改善を超えた本質的なビジネスニーズをとらえる事が難しくなってきた。現場からは不満の声が上がっているようだ。一体何が問題なのだろうか。継続的な変革のカギは、最終回「変革の進め方」で解説したい。