忘れられていた夫婦の大事な約束

ある金曜日の夜、朝美はリビングのテーブルに母子手帳と診察券を並べ、持ち物を確認していた。

明日は健也と一緒に妊婦健診へ行く約束をしている。久しぶりに夫婦そろって赤ちゃんの成長を確認できることを、朝美は楽しみにしていた。そんなとき、晩酌を終え、ソファでスマートフォンを見ていた赤ら顔の健也が声を上げた。

「おっ、明日は天気もよさそうだな。オクトーバーフェスト、楽しみだわ」

「え? オクトーバーフェスト?」

「うん。友達と行く約束してるんだ。昼から飲む予定でさ」

朝美は思わず手を止めた。明日の午後には、妊婦健診の予約が入っている。

「ちょっと待って。明日は一緒に健診へ行く約束だよね?」

「……あっ、そうだった! ごめん、すっかり忘れてた」

健也は軽く頭を下げたが、特に慌てた様子はなかった。

「でも、もう友達と約束しちゃったしな。今回は朝美1人で行ってくれない?」

「は? 行かないつもりなの?」

「だって、今さら断るのも悪いだろ。健診はまた次もあるんだし」

朝美は耳を疑った。

「私、健也にも赤ちゃんを見てほしいって言ったよね? だから一緒に行こうって約束したんじゃない」

「分かってるよ。でも、毎回ついていかなくてもいいだろ?」

その言い方に、朝美はこれまで抑えていた不満が込み上げてきた。

「そういうことじゃないよ! 妊娠してから、私はお酒も飲めないし、食事や体調にも気を遣ってる。それなのに健也は、前より飲みに行く回数が増えてるじゃない」

「なんだよ。結局、俺が酒を飲むのが気に入らないのか?」

「違うってば。そうじゃなくて……」

「俺だって不妊治療中は家で酒を我慢してただろ。朝美に合わせてたんだから、今くらい好きに飲ませてくれよ」

健也の口調も次第に強くなっていた。

「でも、外では飲んでたでしょう? そもそも、私はお酒をやめてほしいなんて言ってない」

「じゃあ、何が不満なんだよ」

「健診に行く約束したのに、飲み会のほうを優先することだよ! 少しくらい私や赤ちゃんのことを考えてくれてもいいじゃない!」

健也はいら立った様子でため息をついた。

「俺にも付き合いがあるんだよ。親になるからって、何もかも我慢しなきゃいけないのか?」

「何もかもなんて言ってない!」

朝美は、エコーに映る赤ちゃんを見て、健也にも父親になる実感を持ってほしかった。しかし、彼には自分の予定をキャンセルするという発想はないようだった。

「もういいよ。そんなに行きたいなら、行けば?」

「ああ、そうする」

健也は不機嫌そうに答え、再びスマートフォンを手に取った。朝美もそれ以上何も言わず、テーブルの母子手帳を乱暴にバッグにしまった。

朝美は1人で妊婦健診へ

「じゃあ、俺はそろそろ出かけるわ」

「そう」

「朝美も健診、気をつけてな」

翌日、健也は普段と変わらない様子で玄関を出ていった。結局、昨日のケンカについて謝ることもなく、友人たちとの飲み会を優先したのだ。

「ほんと、信じられない」

午後になり、朝美は1人で産婦人科へ向かった。妊婦健診では、エコーで以前よりも大きくなった赤ちゃんの姿を確認できた。順調に育っていることが分かって、朝美はほっとした。しかし安堵と同時に健也に対する怒りが込み上げてきた。本当なら、2人で一緒に喜びを分かち合うはずだった。だが、彼は今ごろ友人たちとビールを楽しんでいるのだろう。

診察を終えて帰宅しても、一向に怒りは収まらなかった。静まり返ったリビングには、時計の秒針の音だけが響いていた。

●不妊治療を経てようやく妊娠した朝美だったが、健也は一緒に行く約束をしていた妊婦検診を忘れ、友人とのオクトーバーフェストを優先。朝美は1人で赤ちゃんの成長を確認することになる…… 後編【「旦那が困ってるのに、助けてくれないのかよ!」飲み会を優先した泥酔夫へ妊娠中の妻が返した一言】にて、詳細をお伝えします。

※複数の事例から着想を得たフィクションです。実在の人物や団体などとは関係ありません。