結果を求めない世界との出会い

休職して1週間ほど経ったころ、梨絵は自宅から歩いて行けるヨガスタジオの前に立っていた。

趣味を探そうにも何も浮かばず、ようやく思い至ったのがヨガだった。大学時代、友人に誘われて体験教室に行ったことはあったが、間もなく仕事中心の生活になり、続ける機会はなかった。身体を動かせば多少眠りやすくなるかもしれない。その程度の気持ちで1カ月の体験レッスンを申し込んだ。

「お手本と同じ形にしなくて大丈夫ですよ。無理なくできるところまでで構いません」

講師の柔らかい声を聞きながら、梨絵は隣の参加者をちらりと見た。

「身体の柔らかさは人それぞれですから。まずは自分がリラックスすることを大切にしてくださいね」

そう言われても、最初のレッスンはなかなか力を抜けなかった。前屈では指先が床に届かず、片脚で立てば身体がぐらつく。仕事なら、できないことをそのままにしておくなど考えられない。正しい角度にしなければ、もっときれいにできなければと、つい周囲と比べてしまう。だが、何度か通ううちに、その感覚は薄れていった。

「菊池さん、きれいに身体が伸びるようになりましたね」

「えっ、本当ですか?」

「ええ、とっても上手ですよ。でも、無理はしないでくださいね。自分のペースでいいんですから」

梨絵は思わずはっとした。

ここは会社ではない。昨日よりどれだけ成長したか、目標に届いたかを必ず問われる職場とは違う。ここでは結果を出さなくても誰にも責められない。

「ありがとうございます」

それから正式に入会した梨絵は、自宅でもマット代わりのタオルを敷き、教室で覚えた簡単なポーズを試すようになった。

呼吸を整え、自分の身体に意識を向けている間は、仕事のことを考えずに済んだ。やがて梨絵は、ポーズを覚えるだけでなく、身体の使い方や呼吸についても調べるようになった。

「せっかく続けるなら、ちゃんと勉強してみようかな」

あれこれ検索しているうちに、インストラクター資格を取得できるスクールを見つけた。何か目標があるほうが張り合いが出るだろう。そう考えて、迷わず申し込んだ。スクールでは、人に伝えるための説明や実践も学んだ。

「自分でやるのと、人に伝えるのって全然違うんですね」

「そこが面白いところですよ。でも菊池さん、説明を整理するの上手ですよ」

「仕事でそういうことばかりしてきたからかもしれません」

意外なところで会社員としての経験が役立つことも嬉しかった。学ぶほど知りたいことが増え、スクールへ向かう日は自然と足取りも軽くなる。

梨絵は、自分がよい方向へ向かっているのを肌で感じていた。

●仕事一筋に走ってきた末、体調を崩した梨絵。仕事以外に何もない自分に気づいた彼女は、気分転換で始めたヨガに夢中になり、ついにはインストラクター資格の勉強まで始める。この新たな出会いは梨絵の人生をどう変えるのか…… 後編【「ここまでのキャリアもったいなくない?」好きなことと安定の間で大手勤務の女性会社員が迫られた選択】にて、詳細をお伝えします。

※複数の事例から着想を得たフィクションです。実在の人物や団体などとは関係ありません。