母の最期を巡る怒り

居間に戻ると、克之は座布団に腰を下ろし、何事もなかったかのようにテレビを見始めた。だが、依子の目には散らかった卓上と父の細い腕しか入らなかった。

「ねえ、お父さん。ずっとこのまま1人で暮らすつもりなの?」

克之は画面を見たまま答えた。

「余計な世話だ」

その一言に、依子の胸の奥がざわついた。長らく父と距離を置いていた自分が急に口を出す決まりの悪さはあった。それでも、現状を見てしまった以上、黙っては帰れなかった。

「施設に入ることも考えたら?」

にわかに克之の顔が険しくなった。

「何だと」

「今は自分で暮らせる人向けのところもあるし、食事や掃除を手伝ってもらえる場所だって――」

「俺をこの家から追い出す気か!」

「追い出すなんて言ってない。心配してるだけよ」

「何年も顔を見せなかった人間が、今さら何を心配する」

痛いところを突かれ、依子は口をつぐんだ。克之はさらに鼻で笑った。

「身体のことも、この家のことも、俺が一番分かってる。お前に指図される筋合いはない」

依子の中で、罪悪感よりも怒りが勝った。

「そうやって、何でも自分1人で決めてきたのよね。お母さんが亡くなったときだってそうだった」

途端に克之の目が鋭く光る。

「その話はいい」

「よくない。お母さんが危ないって連絡したのに、仕事を優先して……結局、最期にも間に合わなかったじゃない」

「俺が働かなきゃ、この家はどうなっていたと思う」

「だからって、最期まで仕事?」

依子の声が震えた。20年以上経った今でも、病室で母の手を握り、来ない父を待った記憶は鮮明に残っている。

「お母さんは、ずっとお父さんを待ってたのよ」

「お前に何が分かる」

「分からないわよ。だって、お父さんは何も話してくれないじゃない」

克之は背を向けて寝転び、黙り込んだ。会話を断ち切った父に、依子はそれ以上何も言えなかった。雨音と、消し忘れたテレビの音声だけが家の中に響く。

やはり父とは分かり合えない。

その夜、依子はやるせない思いを抱えて眠りについた。

●墓参りの帰りに欠航で足止めされ、20年近く距離を置いてきた父の家に泊まることになった依子。荒れた実家と老いた父の姿に動揺しながらも、母の最期を巡る怒りは簡単には消えず、父娘は激しくぶつかってしまう…… 後編【母を見捨てた父が許せない…20年憎み続けた娘が帰れない実家で知った老父の深い孤独】にて、詳細をお伝えします。

※複数の事例から着想を得たフィクションです。実在の人物や団体などとは関係ありません。