俊介が言えなかったこと

6月に入って最初の週末、俊介は昼過ぎからキッチンに立っていた。写真の納品を済ませ、買い物に出て、大輝の好きな牛肉の赤ワイン煮込みを作るつもりだった。香味野菜を炒め、肉に焼き目をつけてから、鍋でゆっくり煮込む。特別な日というほどではないが、今日は久しぶりに2人でゆっくり食事をしたかった。しかし食卓に食器を並べたところで、スマホが震えた。

「ごめん。イベント準備で少し遅くなる。先に食べてて」

大輝からだった。鍋の中では煮込みが、ぐつぐつと湯気を立てている。

「分かった。気をつけてね」

短いメッセージを打ち込む指先が冷たい。俊介は火を弱めて、スマホをテーブルに伏せた。大輝が帰ってきたのは、料理ができてから1時間近くたってからだった。

「ただいま。遅くなって悪い」

大輝はリビングに入ると、食卓を見て少し目を見開いた。

「豪華だな」

「まあね」

「先に食べててよかったのに」

その一言で、胸に溜まっていたものが噴出した。

「最近、そっちばっかりだよね」

「そっちって、団体の活動のこと?」

「そうだよ。打ち合わせとか、準備とか、パレードとか。帰ってきてもずっとそれじゃん」

大輝は鞄を置き、椅子に座った。

「俊介、これは俺たちにも関係ある話だよ」

「何が?」

「同性婚が認められていない社会では、困る場面が多々ある。病院でも、役所でも、家族として扱われるかどうかで人生は大きく変わるんだ」

大輝の声は、ひどく落ち着いていた。優しく諭すような響きが俊介には、妙に遠く感じられた。

「例えば、俺が死ぬとき、俊介は病室で看取ることを許されないかもしれない。俺の遺産を受け取れないかもしれない。逆も同じだ。レインボープライドは、ただのイベントじゃない。俊介とこれからも暮らしていきたいから、やってることなんだ」

大輝の言うことは、たぶん間違っていない。医者としてそういう場面を見てきた経験もあるのだろう。でも、俊介が聞きたかったのはそこではなかった。

最近、あまり一緒に食事をしていない。2人で映画を選んで、途中で眠くなって、くだらない感想を言い合う時間が減った。大輝の中で、自分より活動の存在が大きくなっていくようで嫌だった。だが、そう言えば子どもじみて聞こえる気がした。

「俺に、もしものことがあったとき、俊介が困らないようにしたいんだよ」

俊介は経済面で大輝に頼りきりだ。実際、大輝に何かあれば俊介は、あっという間に困窮するだろう。だからこそ大輝に、将来より今の自分の気分を尊重してほしいとは言いづらかった。

「……俺は、そんな難しい話をしたいんじゃない」

ようやく絞り出した声は弱々しかった。大輝は眉を寄せ、少しだけ首を振った。

「すぐには分からないか」

その言葉が、胸に突き刺さった。

大輝は、なおも言葉を尽くして俊介に説明しようとしている。しかしその声は、食卓の向こう側ではなく、もっと遠い場所から聞こえてくるようだった。2人の間で、静かに料理が冷めていった。

●売れないながらも恋人の大輝に支えられて穏やかに暮らしていた俊介。しかし、大輝がLGBTQ+の権利団体の活動にのめり込むにつれ、2人の時間は少しずつ削られていく…… 後編【「ただ好きだというだけなのに…」LGBTQ+の活動にパートナーを奪われる?同性カップルの苦悩】にて、詳細をお伝えします。

※複数の事例から着想を得たフィクションです。実在の人物や団体などとは関係ありません。