誰もいない村、冷え切っていく夫婦の会話
「東京とは時間の流れが違うな」
移住当初、夫は満足そうにそう笑っていた。購入したのは、築45年の古民家をリノベーションした物件。大自然に囲まれた理想のセカンドライフ……のはずだった。
しかし、現実は甘くなかった。最寄りのスーパーまでは車で片道40分。冬が近づくにつれ気温は氷点下まで下がり、容赦ない寒さが古い木造家屋を襲う。何より辛かったのは、コミュニティの閉鎖性だ。回覧板を回すだけで「余所者」を見る冷ややかな視線に晒され、私は次第に家に引きこもるようになった。
対照的に、夫は「地域に馴染まなければ」と躍起になっていた。地元の猟友会や、怪しげな「古民家再生コミュニティ」の会合に夜な夜な出かけていく。
「また今夜も行くの? 灯油代だってバカにならないのよ」
私が声をかけると、夫はフンと鼻で笑い、「お前は都会の感覚が抜けんからダメなんだ。これは将来への投資だよ」と、突き放すように言った。会話は日に日に減り、家の中には薪ストーブの熱とは正反対の凍てつくような冷気が漂うようになった。
通帳から消えた1500万円の衝撃
異変が確信に変わったのは移住して5カ月が経った頃だった。冬を越すための暖房費や車のスタッドレスタイヤ交換など、予想以上の出費がかさんでいた。生活費の口座を確認しようと、夫の書斎の引き出しから通帳を取り出した私は、自分の目を疑った。
定期預金から、わずか3カ月の間に500万円、300万円、700万円と、信じられないペースで大金が引き出されていたのだ。
合計で1500万円。
心臓が早鐘を打つ。手が震えて、通帳を床に落としてしまった。慌てて夫のスマホの通知画面を見ると、そこには見知らぬ男からのLINEが残っていた。
「隆史さん、例の自然農法ビジネスの追加出資、今月末までにあと200万円いけますか? 村長も期待していますよ」
夫は、地域の有力者を名乗る男たちに騙され、私たちの老後資金を実体のない投資話につぎ込んでいたのだ。東京にいた頃はあんなに堅実で、10円の無駄遣いもしなかった夫が、なぜ。
