愛犬が思わぬ才能を発揮
「次、中トロいっちゃおうかな」
大祐が、楽しげに言いながら箸を持ち上げた。
テーブルの上に並ぶ寿司下駄。そして対面キッチンの中には寡黙な寿司職人がいる。いわゆる出張寿司と呼ばれるサービスだ。
「うわ、この中トロうま。もはや大トロと言っても過言ではないかも」
「何それ、さすがに過言でしょ」
「いやいや、ホントだって。初美も食べてみな」
そう言ってにこやかに笑う大祐は、結婚して10年以上経った今も、変わらず穏やかで優しい。
会社員夫婦の初美たちは、臨時収入が入ると、こうしてたまの贅沢を楽しんでいる。その臨時収入とは飼い主の指示のもと愛犬が障害物競争を行い、そのタイムなどを競う「アジリティー」と呼ばれる競技の大会で入賞したことによって得られた賞金だった。
きっかけは、ほんの偶然だった。近所に暮らすドッグラン仲間に誘われて気まぐれで大会に出場することになったのだ。まさか入賞できるなんて思ってもいなかった。だが、初美たちの息の合った動きに、観客から拍手が起こり、表彰台では立派な賞状と、想像以上の金一封が手渡された。
「すごいじゃないか! 初美、やるなあ」
何より大会から帰って報告したときの大祐の声。誰かに褒められる経験は久しぶりだった。
それ以来、初美はレオとのトレーニングにのめり込んでいった。朝のドッグランで走ったり、室内での簡単なステップ練習、たまにはYouTubeで新しい技を学んでみたり。
もともと運動は嫌いではなかったし、努力した分だけ結果が出るのが性に合っていたのだろう。レオと過ごす時間がますます充実したものになり、心の隙間を埋めてくれるようだった。彼もまんざらではない様子で、楽しそうに初美に付き合ってくれている気がした。
「今度の大会は、もうちょっと上を狙うつもりなの。優勝も夢じゃないかも」
「いいね、また寿司奢ってもらおうかな」
大祐と冗談を言い合うたび、胸の奥にふわっとした灯りがともる。
会話が途切れたのを見計らって寿司職人が「次は何になさいますか?」と尋ねた。初美は少し考えてから言った。
「じゃあ、玉子をお願いします」
答えを聞いて、くすっと笑う大祐。
「お子さまか」
「いいの。甘いやつ、好きなんだから」
小さな贅沢を、2人で分け合う夜。
レオはといえば、リビングのクッションに丸まって、おとなしく眠っている。きっと夢の中でも跳ねまわっているに違いない。「レオ、次も頼んだぞ」と、大祐がぼそっと言った。
「任せて。次も金一封、もらってくるからさ」
初美は笑って応じながらも、華々しく表彰される自分とレオの姿を思い浮かべずにはいられなかった。