早朝のキッチンで、真子は慌ただしく朝食の準備をしていた。朝の光がレースカーテンの隙間から差し込み、部屋の中を柔らかく照らしていたが、そのぬくもりを楽しむ余裕は真子にはない。
真ん中に仕切りがついたフライパンで卵とウインナーを同時に焼きながら、おにぎりと昨日の晩に大目に作っておいたおかずを次々と弁当箱に詰め込んでいく。時間がない朝は手際が命だ。2人分の朝食と弁当が完成すると、真子は息つく間もなく、キッチンから奥の部屋に向かって声をかけた。
「朝ごはんできたわよー! そろそろ起きなさーい!」
少し間を開けてリビングに姿を現したのは、17歳の一人娘・りん。3年前に夫と別れた真子は娘と2人で暮らしている。
「おはよ、ママ」
「ほら、顔洗ってきちゃいなさい。遅刻するよ」
「はーい」
髪はぼさぼさで目は半開き。寝ぼけていても素直なりんの態度は、少し前までなら考えられないことだった。離婚した当時のりんは、反抗期真っ盛りの中学生。いつも何かにイライラしていて、母親である真子とも口げんかが絶えなかった。
しかし親子2人で生活するようになってからは、反抗期特有と思われる言動も徐々に少なくなり、家のことを手伝うようになった。きっと真子がシングルマザーとして奔走する姿を見て、りんなりに変わろうと努力してくれたのだと思う。りんが精神的に成長してくれたおかげで、今ではお互いの意見が衝突して険悪になるようなことはほとんどない。学校での出来事や人間関係についても教えてくれる、親友のような関係だ。
最近ではすっかり大人びた表情を見せることもあるりんだが、こういった無防備な瞬間は、やはりまだまだ子供だ。顔を洗って戻ってきたりんが席に着く。真子はほほ笑みながら、スープ入りのマグカップを持ったままぼんやりしているりんに声をかけた。
「りん。今日は午前中から模試でしょ? しっかり食べて、頑張ってね」
「あ……うん、頑張る」
高校2年生のりんは、来年大学受験を控えている。学校でも受験に向けて本格的な準備が始まっているようで、去年に比べて学力模試や受験対策講習の数が格段に多くなった。予備校にも通わせているため、授業料や模試の受験費用など、必要最低限と思われる出費だけでも、真子の稼ぎは飛ぶように消えていった。
一応、別れた夫から養育費は受け取っているものの、その金額は4万円。元夫と再婚相手の間に子供が生まれたこともあり、もともと大した金額ではなかった養育費は、1年ほど前に減額されていた。養育費だけでは予備校の月謝を賄うこともできなかった。
真子は正社員として働いていたが、子育て期間のブランクがあることや、離婚を機に転職を余儀なくされたこともあって、残念ながら年齢相応のキャリアや収入があるとは言いがたい。これまでなんとか母娘2人の生活を維持してきたが、経済的には決して楽ではなく、節約は欠かせない。
仕事用のスーツは、ワンシーズンに2着だけ。私服に至っては、最後に買ったのがいつか覚えていない。食卓に並ぶメニューもシンプルな節約レシピが多い。りんもそれを感じ取っているようで、初めのころはよく文句も言っていたが、今では毎朝同じ代わり映えのしない朝食を黙って口に運んでくれている。
「お母さん、ごちそうさま」
手早く朝食を食べ終えたりんは、自分と真子の分の食器を片付けながら声をかけてくる。
「あっ、ありがとう。私が洗うからそのまま置いておいて。りんは家を出る準備しちゃいなさい」
「はーい、じゃあ一応水にだけつけておくね」
りんはそう返事をすると、バタバタと自分の部屋に引っ込み、その間に真子は冷ましておいた弁当を包み、麦茶の入った水筒を用意した。
「はい、お弁当。喉が渇いてなくても定期的に水分補給するのよ。室内でも熱中症になるんだからね」
「はいはーい、分かってるよ。それじゃ、行ってきまーす」
りんがひらひらと手を振って出て行くと、リビングは静かになった。