昔の日本経済は「米本位制」
江戸時代は「加賀百万石」のように、米の収穫量が大名のランクに反映されていました。各藩は農民から徴収した年貢米を江戸や大坂(大阪)で現金化し、物資の購入に充てていたのです。まさに米が経済の基盤となる「米本位制」ともいえる仕組みです。このように米が通貨の代わりとなる経済体制は、さかのぼると平安時代からだったという説もあります。
長きにわたり米を経済の中心に据えてきた日本は、世界でも類を見ないユニークな国といえるでしょう。
新嘗祭と「勤労感謝の日」の関係は?
さて、現在の11月23日は「勤労感謝の日」という祝日です。しかし、かつて1873年(明治6年)に新暦に移行する際、11月23日に定められたのは「新嘗祭」という祝日でした。
米が凶作になることは人の生死に関わる深刻な問題だったため、収穫に感謝する新嘗祭は全国民にとって重要な行事だったのです。
この新嘗祭が勤労感謝の日に変わったのは1948年(昭和23年)からのことで、GHQの命令によるものでした。GHQは、自然界の神々に感謝して立場に関係なく収穫の喜びを分かち合う、農耕民族としての日本人の精神性を恐れたといわれています。
新嘗祭という名目の祝日を外したのは、日本人を一枚岩でなくする弱体化の意向があったのかもしれません。宮中行事としての新嘗祭の継続は認められ、今日に至っています。勤労感謝の日は、稲作のみならず世の中のすべての働きに感謝するという意味合いに変わったのです。