最愛の夫が帰らぬ人に…

マンションで暮らして半年、しばらく咳が止まらない、胸が苦しいという夫は病院で検査を受けました。そこで告げられたのは、肺がん――すでに多くの箇所に転移していました。手術もできず、抗がん剤治療が中心ということでした。

それからの日々をどう過ごしたのか、あまり記憶がありません。ただ、取れるだけ有休を取って、とにかく病室へ行って彼に付き添っていました。こんなことになったからには、さすがに義実家と断絶したままでいることもできません。彼の病気のことを義両親にも連絡したので、病室で義母と鉢会わせになることもありました。

義母には「どうしてこんなになるまで気が付かなかったの?」と言われたこともありました。私は何も言えませんでした。ただでさえ弱っている健司の前で、言い争いなんてしたくなかったからです。

そして、病院で義母の顔をみるたびに、「もしも健司がいなくなったら、“遺産”はどうなるのだろう」という心配が脳裏をかすめました。なぜならば、遺産相続となれば「夫の資産の3分の2は配偶者が相続できるけれど、(子どもがいない場合)残りの3分の1は義両親に権利がある」とどこかで聞いたことがあったためです。でも、生きようと必死につらい治療に耐えている健司に、とてもそんな話を切り出すことはできませんでした。健司は抗がん剤の副作用で日に日に体調が悪化していました。

そしてがん発覚から半年と少しが過ぎた頃、彼は43歳の若さであっけなく逝ってしまいました。

息子に先立たれた義母の悲しみようは、それはすさまじいものでした。

葬儀が終わり、斎場でお骨になった健司を抱えて途方に暮れていた私に、義父が声をかけました。

「佳代さん、ありがとう。健司の骨はこちらで引き取って、こちらの墓に入れます。あとは任せてくれていい」。ずっとすすり泣いていた義母も「そうね、そうね、うちに連れていってあげましょう」と、同調しました。

その瞬間、健司が生前「もうあの両親の入る墓には入りたくないな……」とこぼしていたことを思い出しました。「実家に行くのもやめよう」と言ってくれた時に言っていたはず。

「健司を義父母たちと同じお墓に入れるわけにはいかない」。私はお骨を抱えたままその場を飛び出して、ちょうどエントランスに止まっていたタクシーに飛び乗りました。

お骨はどうなる? 相続の行方は? 後編へ続く>>