資産形成の目的を問われると、多くの人が「老後の資金のため」と答えます。その資金には、医療費や介護費用も含まれるのでしょう。「老いたら、何らかの病気になり、医療のお世話になる」。漠然とそう思っている人がほとんどだからです。

447万部のベストセラー『バカの壁』(新潮新書)でも知られる養老孟司氏は病院嫌いで、「現代の医療システムに巻き込まれたくない」と、長年健康診断も受けないできたそう。

しかし、2020年には突然の体調不良から大病が発覚、東大病院に入院することに――。その経験を通じ、養老氏は医療、老い、死について、あらためて何を思ったのか。教え子であり、主治医でもある中川恵一氏との共著『養老先生、病院へ行く』(エクスナレッジ)に綴られています。その第1章を特別に公開します(全4回)。

●第1回はこちら

※本稿は、養老孟司、中川恵一『養老先生、病院へ行く』(エクスナレッジ)の一部を再編集したものです。

生死をさまよい、娑婆に戻ってきた

そこへ、中川医師が急ぎ足でやってきました。「養老先生、心筋梗塞です。循環器内科の医師にもう声をかけてありますから、ここを動かないでください」と言われ、そのまま心臓カテーテル治療を受けることになりました。その前後のことは、半分寝ているようだったのでよく覚えていません。具体的にどのような治療が行われたのかは、第2章で、中川医師が詳しく説明してくれるでしょう。

カテーテル治療後は、ICU(集中治療室)で2日ほど過ごし、循環器内科の一般病棟に移りました。カテーテル治療の前後やICUにいたときは、意識がぼんやりしていて、お地蔵さんのような幻覚も見えました。お地蔵さんは、阿弥陀様だったのかもしれません。

病院から出るには2つの出口があります。1つは阿弥陀様から「お迎え」が来て、他界へと抜け出ます。もう1つは、娑婆に戻ります。現在の病院は後者の機能が大きくなっています。前者はホスピスと呼ばれる終末医療です。昔の病院がお寺や教会に属していたのは、この機能が大きかったからでしょう。

しかし、阿弥陀様には見放されたらしく、とりあえず私が出たのは娑婆の出口のほうでした。

成人してから2週間も入院したのはこれが初めてです。子どもの頃、赤痢(赤痢菌による感染症)で入院したことがあります。終戦の前でしたが、その頃、神奈川県津久井郡中野町(現在は相模原市緑区)に住んでいました。2016年に「相模原障害者施設殺傷事件」があった津久井やまゆり園のあるところです。

そこは母の実家で、祖父母と叔母がいました。実家は山の中腹にあり、水道がないので山から水を引いていました。そのため、赤痢が流行し祖父母も叔母も赤痢で亡くなりました。

そのとき私も一緒に赤痢にかかり、鎌倉に戻って母の知り合いの女医さんの病院に1人で入院して、生き延びました。小さい頃から、感染症があたりまえの環境で暮らしていたのです。

退院したのがいつだったかはっきり覚えていませんが、昭和19年(1944年)の春だったと思います。