金融庁が企業年金のDC(確定拠出年金)やDB(確定給付年金)に重大な関心を示している。政府は2023年末にまとめた「資産運用立国実現プラン」で、2000兆円を超える家計金融資産を積極的な投資に回し、成長と分配の好循環を生み出すため、投資資金の流れを担うインベストメントチェーンの活性化を図るとしている。同チェーンの中で、活性化に向けて「最後に残されたピース」とされたのが資産運用業とアセットオーナーだ。
同プランに深くかかわった金融庁が最後のピースにこだわるのは当然だろう。しかし、事情はそう単純でない。前者は同庁の監督下にあるものの、後者のDCは厚生労働省との共管、DBに至っては同省の専管だからだ。
同庁は霞が関の垣根を踏み越えてDCやDBに切り込むのか。切り込んだとして勝算はあるのか。あるいは、厚労省の協力は得られるのだろうか。今後の展開を考えてみよう。
資産運用立国分科会で激突、金融庁がDBで一歩後退
金融庁は以前から企業年金、特にDBの資産運用のあり方を疑問視していた。DBを運営する年金基金などは将来の年金支払いに備えて手持ちの資産を運用で増やしていく。そのペースを示す「予定利率」が低過ぎるのではないか。つまり、DBの資産運用が消極的なのではとみている。一方、企業年金の関係者は「DBは十分な資産を積み上げており、企業年金の実情に疎い議論」と強く反発していた。
DBは厚労省の管轄なので、同庁がこの問題に口を挟む機会は少なかったが、省庁の枠を超えた舞台で両者が激突する場面が訪れた。
内閣官房の主催で23年10月から12月まで4回にわたって開催された資産運用立国分科会で、政府の審議会などでは異例ともいえる「白熱した議論」が展開された。
ここでの議論は金融庁の準備不足もあって企業年金側に論破されたかたちで終息した。この分科会などを通じ、DCも含めた議論を見守った同庁の関係者は「DCでは一定の発言権を確保したが、DBの方は一歩後退」との感想を漏らした。同庁の目論見は一旦、頓挫したかに見えたが、話はこれで終わらない。
金サ法をてこに巻き返しへ、FDの範囲を加入者本位に拡大
金融庁が企業年金に再チャレンジする背景の1つは24年2月1日に施行された金融サービス提供法、通称金サ法だ。同法は金融庁が改正金融商品取引法等などと呼んでいたため、メディアでもほとんど取り上げられなかったが、同庁の強力な武器になるものだ。
この法律ではFD(顧客本位)がカバーする範囲を広げ、DCやDBなどの加入者も資産運用業者に守られるべきものとしている。実際、同庁は資産運用立国プランの議論が盛り上がる過程で、企業年金に関係する資料でFDに(加入者本位)との注を付けるようになった。
DCなどの加入者がFDの対象になれば、年金ビジネスに携わる金融機関や年金基金の関係者に「FDへの取り組みを聞きたい」と同庁がヒアリングする道が開ける。金融庁はしっかりパスポートを手に入れていたのだ。
余談だが、この法案は23年の通常国会に提出されたが、時間切れで成立しなかった。同年秋の臨時国会で通ったので事なきを得たが、通常国会の閉幕直後は金融庁幹部に焦りの色が見られた。G7広島サミットの成功に気をよくした岸田文雄首相が臨時国会のさなか、議会を解散するとの見方があったからだ。解散となれば法案の審議は吹っ飛ぶ。同庁の切り札ともいうべき金サ法の成立が危うくなるところで、同庁局長経験者も「考えられない失態だ」と憤っていた。
企業年金に関わる金融機関、DBを持つ金融機関をターゲットに
金融庁が強気になったもう1つの背景に同庁が舞台回しを演じる資産運用に関するタスクフォースでの委員の発言がある。この会合の第3回で、ある委員が「DCやDBに関わる金融機関をヒアリングしないのは金融庁の怠慢だ」と指摘した。
議事録を眺めると「怠慢」という表現は使われていないが、会議の参加者によると現場でのやり取りや事前の打ち合わせなどで、踏み込んだ発言があったという。
DCもDBも年金制度なので、創設以来、厚労省がモニタリングしている。半面、DCの加入者などに運用商品や金融サービスを提供しているのは銀行や証券会社といった金融機関が中心だ。彼らを監督しているのは金融庁なので、それにもかかわらず、運営管理機関などにヒアリングしないのは同庁の「怠慢」というわけだ。
言うまでもないことだが、この委員の発言は金融庁を責めることを意図したものではなく、同庁にDCやDBに介入する大義名分を与えるためのものだ。
こうしてDCの運営管理機関業務を営む金融機関、DBに運用商品やアドバイスを提供する金融機関。さらには自社の従業員向けにDCやDBを運営する母体企業としての金融機関に対し、同庁に監督権限があることが確認された。金サ法の威力と併せて同庁が企業年金で積極姿勢に転じる条件がそろったことになる。
厚労省を誘い出す「高等戦術」か、企業年金との手打ちも
一方、本来は企業年金を主管する厚労省の動きはどうか。金融庁の思惑と企業年金の論理がぶつかり合った資産運用立国分科会と同じ時期に開かれた同省の社会保障審議会の企業年金・個人年金部会は先の分科会でのやり取りが別世界の出来事のように、平穏に進行していた。5年の一度の年金改革を2025年に控えた同省は公的年金の見直しで手一杯なのだろうか。
実際、同省年金局の雰囲気は未曽有の少子化のなか、公的年金の維持に奔走させられており企業年金まで手が回らないようにみえる。
だからこそ、金融庁が自分たちの出番と考えるのだろうが、現実問題として企業年金に関する知見やパイプに乏しい同庁がこのテーマを適切に対応できるか不安もある。
先に紹介した金融庁の積極姿勢とこの分野の不案内という2つの問題を整合的に解釈し、少し発想を飛躍させると、金融庁の「誘い玉」というシナリオが思い浮かぶ。
企業年金への取り組みに腰が重い厚労省に対し、金融庁が意欲を見せることで、同省をこの問題に向き合わせる戦術ではないのか。また、金融庁が激論を交わした企業年金側と手打ちをするという情報もある。DBに関する議論を仕切り直しする兆しかもしれない。多彩な動きを見せる同庁に今後も注目する必要がありそうだ。
みさき透 新聞や雑誌などで株式相場や金融機関、金融庁や財務省などの霞が関の官庁を取材。現在は資産運用ビジネスの調査・取材などを中心に活動。官と民との意思疎通、情報交換を促進する取り組みにも携わる。