できない時間も楽しめるように

「お疲れさまでした」

「菊池さん、今日は早いね。何か用事?」

「ちょっと趣味の習い事があって……」

復職後も、ヨガスクールは続けていた。

平日は会社へ行き、勤務後や休日にはヨガスクールへ通う。スケジュールは以前より厳しくなったが、どれだけ疲れていても教室に通うのは苦にはならなかった。

「また途中でバランスを崩しちゃいました」

「でも、そこから自分で立て直せましたよね」

「はい。失敗したのに、ちょっとうれしいです」

ヨガでは、立ち止まり、やり直し、昨日まで分からなかった感覚に気づく。その過程そのものが面白かった。ここでは、できない時間さえ学びになる。

――私はこんなふうに、夢中で何かを楽しめる人間だったんだ。

梨絵は少しずつ、そのことを実感していた。

資格取得が近づくと、人に教えるための実践も増えた。梨絵は相手の動きを見ながら、覚えた知識を順序立てて説明することに意外な手応えを感じた。

「やっぱり菊池さんは、説明が分かりやすいですね」

「ありがとうございます。会社で人前に立つことが多いので、その経験のおかげかもしれません」

「それだけじゃないですよ。言葉遣いも表情も、毎回ブラッシュアップされてるのが分かります。見えないところで努力されてる証拠ですね」

 

ある日の実習後、講師が梨絵を呼び止めた。

「資格を取ったら、ここでインストラクターとして働いてみませんか?」

「……私が、ですか?」

あまりに意外で、梨絵は聞き返した。

「ええ。ぜひ一緒に働いてほしいと思っています」

素直にうれしいと思った。だがその直後、現実が一気に押し寄せた。今の収入、10年以上かけて築いたキャリア、大手企業を辞める不安。何より、ヨガだけで生活していけるのか。

「ありがたいお話ですが、少し考える時間をいただいてもいいですか?」

「もちろんですよ。ゆっくり考えて決めてくださいね」

講師に挨拶をしてスタジオを後にしながら、梨絵は物思いにふけっていた。

何気ない気持ちで始めた趣味のヨガが自分の仕事になるかもしれない。インストラクターとして働く未来を想像するうちに、梨絵は不思議な高揚感に包まれている自分に気がついた。