母の胸騒ぎが現実に
夕食の支度をしながら、玲美は何度も壁の時計を見上げた。深夜に帰ってくる夫の分と、念のため萌絵の分の皿を冷蔵庫にしまい、1人で食卓に座る。太鼓の音、子どもたちの笑い声、遠くで誰かを呼ぶ声。窓から入ってくる風とともに、楽しげな祭りのざわめきが届いた。
7時50分。食事の後片付けを終えた玲美は、玄関の方へ耳を澄ませた。下駄の音が近づいてくるような気がして、思わず振り返る。しかし聞こえたのは、家の前を通り過ぎていく別の家族の声だった。
カーテンを開けて窓の外を見ると、浴衣姿の親子が何組か歩いていた。子どもが片手に水風船を持ち、母親がその隣で綿あめの袋を提げている。萌絵もそろそろ帰ってくるはずだ。
そわそわしているうちに8時になった。玲美は居間の時計を見上げ、深く息をついた。
「混んでるのかな」
祭りの帰り道なら、友達と話しながらゆっくり歩いているのかもしれない。会場は近いし、何度も行ったことのある神社だ。友達と一緒なら大丈夫。そう自分に言い聞かせて、玲美は風呂を沸かしに立った。
8時10分。ついに我慢できなくなった玲美はスマホを手に取り、萌絵のキッズ携帯に電話をかけた。1回、2回、3回。呼び出し音が鳴るたびに、鼓動が速くなっていく。
「萌絵、出て……」
留守番メッセージに切り替わる前に、玲美は通話を切った。きっと携帯は巾着の中に入れたままなのだろう。祭りの喧騒で着信に気づいていないだけだ。そう思おうとしたが、いつの間にか不安で指先は冷たくなっていた。
「どうしよう……」
玲美は迷った末、萌絵と一緒に祭りに行った友達の母親に電話をした。数回の呼び出し音のあと、相手が出る。
「夜分にすみません。飯島です。茉奈ちゃんって、もう帰ってますか?」
「え、うちの子は8時前くらいに帰ってきましたけど……もしかして萌絵ちゃん、まだ帰っていないんですか?」
その言葉を聞いた瞬間、玲美の背中に冷たいものが走った。
「はい、まだ戻ってこなくて……途中までは茉奈ちゃんと一緒だったんでしょうか」
「ちょっと待ってくださいね。今、聞いてみます」
電話の向こうで、母親が子どもを呼ぶ声がした。玲美はスマホを握りしめたまま、リビングの真ん中に立ち尽くした。しばらくして、電話口に母親が戻ってきた。
「途中までは一緒に帰ったそうです。でも、萌絵ちゃんが何か落とし物したみたいで……会場の方に戻るって言ってたらしいです」
「1人で、ですか」
「ええ……そうみたいです。すみません、一緒に帰ってくるように言っておいたんですけど……家のすぐ近くまで戻ってきてたので、大丈夫だろうと思ったみたいで」
「いえ、ありがとうございます。今から探しに行ってきます」
