母の危機感は理解されず
風呂から上がった夫がダイニングに来たころ、律子はまだソファに座っていた。帰省の荷物は壁際に寄せただけで、白い封筒はその横に置いたままだった。夫はタオルで髪を拭きながら、封筒に目を向けた。
「それ、何?」
「お義母さんが、航大と怜美に渡していたお小遣い。お年玉とは別で」
「へえ。よかったじゃん」
その軽い物言いに、律子はすぐ返事ができなかった。夫は冷蔵庫から麦茶を取り出し、グラスに注いでいる。まるで、土産の菓子が1つ増えたくらいの受け止め方だった。
「金額見て」
律子が封筒を差し出すと、夫は中をのぞき、少し眉を上げた。
「まあまあ、入ってるな」
「まあまあ、じゃないよ。航大と怜美には多すぎる」
「でも、子どもたちがねだったわけじゃなく、母さんが自分からくれたんだろ。もらえるものはもらっておけばいいんじゃないか」
思わず律子は頭を抱えた。義美に続いて、夫にまで同じように流されるとは思いたくなかった。
「そういう話じゃないの。お義母さん、子どもたちに『お母さんには内緒よ』って言って渡してたんだよ」
「母さんも、悪気があるわけじゃないって」
「だからって、簡単に与えていい金額じゃないよ」
語気が徐々に強くなった。それに気づいた夫はイスに座り、困ったようにグラスを置いた。
「そんなに怒らなくても。子どもたちだって喜んでただろ」
「喜ぶに決まってる。だから困るの。親に隠れてお金をもらうことが、普通になったら嫌なの」
「母さん、孫に好かれたいだけだと思うけどな」
夫は再び黙って封筒を見た。だが、その表情にはまだ切実さがない。
「さっき電話したけど、全然聞いてくれないの。あなたからも、お義母さんに言って」
「いやぁ……俺が言うと、また大げさになるって。今回は貯金するんだろ? それでいいんじゃないか」
その返事で、律子の中にあった期待が小さくしぼんだ。
夫に悪気がないことは分かる。しかし、悪気がないからこそ、これ以上話しても彼には届かない気がした。
「分かった」
「何が?」
「子どもたちには、私からちゃんと話す」
夫は少し気まずそうに「まあ、それがいいかもな」と言った。
律子は封筒を重ね直し、テーブルの端へ寄せた。義美にも夫にも、律子の抱いている危機感は伝わっていない。それならせめて、航大と怜美には自分の言葉で伝えようと思った。
●子どもたちに「お母さんには内緒よ」と多額のお小遣いを渡す祖母・義美に対して強い危機感を抱く律子。その気持ちをすぐに義母と夫にも伝えたが、2人に律子の思いはいまひとつ届かなかった…… 後編【また始まった「お母さんには内緒よ」…義母の常套句を止めた子どもたちの意外な行動】にて、詳細をお伝えします。
※複数の事例から着想を得たフィクションです。実在の人物や団体などとは関係ありません。
