気付いていた夫……

その日から、春美たちの生活は微妙にずれ始めた。

彼は温かいご飯を食べ、春美は乾いた栄養食を開ける。さらに、1食置き換えた程度で痩せるはずもなく、朝のジョギングと仕事帰りのジム通いで、家で一緒に過ごす時間は減った。

会話はあるけれど、どこかぎこちない。

それでも春美は、心の中で繰り返した。

大丈夫、これは幸せになるための努力なんだ、と。

鏡の前で、自分の輪郭が少しずつ変わっていくような実感を得るたびに、春美は小さな自信を積み重ねた。ただ雅史の微妙な表情だけが、心の奥に小さな棘のように残り続けた。

リビングはやけに静かだった。

珍しくテレビも消して、春美たちは向かい合っていた。窓の外では、夜の風がカーテンをふわりと揺らす。そんな中、雅史がぽつりと口を開いた。

「……やっぱり、母さんが言ったこと気にしてるよね」

春美は手の中のカップをぎゅっと握りしめた。温かいはずの紅茶が、なぜか急に冷たく感じた。

「うん、気にしないふり、してたけど……本当はすごく、気になってた」
声が震えた。

雅史の家族に認められたい。結婚を心から祝ってほしい。そのためには、春美が変わらなきゃいけないと思い詰めるようになっていた。

雅史は、少しだけ目を伏せてから、言葉を選ぶように話し始めた。

「俺さ……小さいことからずっと、母さんに見た目のこと、厳しく言われて育ったんだ」

まあそうだろうな、と思った。雅史は続けた。

「太ったらダメ。食べすぎたらダメ。服装も、髪型も、全部管理されてた。スナックもジャンクフードも、大人になるまでほとんど食べたことなかった」

雅史の声には、淡々とした中にも、長い間しまい込んできた痛みがにじんでいた。

「だから……春美が、美味しそうにご飯食べてる姿、すごく好きなんだ。癒されるっていうか、ちゃんと生きてるって感じがしてさ」

春美は、胸がぎゅっと締めつけられるのを感じた。

ずっと、気づかなかった。

雅史は、本当に言葉の通り、春美のそのままを愛してくれていたのだ。

「……春美が、無理に変わろうとするの、見るの辛いんだ。母さんが何を言おうと、俺は、今の春美のことが好きなんだよ。変わってほしいなんて、一度も思ったことない」

雅史は、まっすぐに春美を見つめた。その目に、迷いはなかった。手の中にあるカップが少しずつ温もりを取り戻していく気がした。

「ありがとう、雅史」

春美は、泣きそうになるのを堪えながら、笑った。