妻の実家の財産や土地、権力は夫が引き継いだ平安時代

今年1月より、三谷幸喜脚本・小栗旬主演のNHK大河ドラマ『鎌倉殿の13人』がスタートした。主人公は鎌倉幕府で執権として活躍した北条義時。平安末期から源頼朝を支え、ついには幕府政治で大きな力をもつようになる人物だ。平安末期は貴族が力を失くし、その後に続く長い武士の時代の礎が作られた時代。変化が多く、ドラマティックな時代なので、ドラマとしての見どころも多い。

俳優陣もベテランから若手まで、知名度が高く、魅力的な布陣だ。つい先ごろも人気若手俳優の坂口健太郎が義時の長男・北条泰時を演じることが発表され、ネットのトレンドワードに躍り出るなど、注目度が高い。

ところで、ドラマでも描かれているように、源頼朝はただの流人にしか過ぎず、義時の父・北条時政のバックアップを得てようやく武装蜂起することができた。時政の娘・政子と頼朝が結婚したからだが、現代人の目から見ると、妻の実家がここまでしゃしゃり出てくるのは少し不自然な気がする。

だが、平安時代は実は母系社会で、妻の実家の財産や権力を夫が引き継ぐのは当たり前だった。実家が強力な女性と結婚することが男性の出世の条件であり、『源氏物語』でも光源氏は母の実家の身分が低いため、皇子でありながら天皇になれなかった。

源氏自身、紫の上という運命の人と出会いながら、明石に流された際に、土地の有力者である「明石の入道」の娘と結婚する。そして、許されて都に戻ったのちは、明石の入道の財産で自分の倉を一杯にするのだ。また、地方の荘園などは女性では管理できないため、妻が相続した土地を夫が管理・監督するのは当たり前だった。

源氏と平家が激しい戦いを繰り広げた平安末期は、まだこの母系社会の名残があり、「妻の実家」は大きな力を持った。頼朝もまた、政子の実家・北条氏の力を味方につけて平家に反旗を翻していく。北条氏は財産家ではなかったが、弱小とはいえ地方の豪族で、引き入れれば周辺の武士たちも追随してくる可能性があった。地盤のある豪族の力は、頼朝には利用価値のあるものだった。

「御恩と奉公」は合理的な経済関係

一方で、平安末期は封建制度の始まった時代といわれている。平安時代には京都から遠い土地は貴族から任命された役人が上官となり、その下でさらに地元の豪族(武士)が管理をしていた。しかし、土地の利益を上役たちが独占してしまうことに不満を持つ武士も多くいた。『鎌倉殿』でも平家側の役人に侮辱され、涙をのむ北条時政・義時親子の姿が描かれた。農民がいて収穫がある土地は、誰にとっても魅力的だった。

そこを利用して、頼朝=鎌倉殿が始めたシステムが、「御恩と奉公」だ。将軍は武士たちに土地の支配を認めたり、分け与えたりする。その代わり、武士は収穫された農作物を収めたり、軍役に着いたりする。のちの時代の「主君に仕える」という感覚よりも、かなりドライだ。いわゆるバーター契約なので、合理的で、近代の経済の感覚に近い感じがする。鎌倉幕府を開く前から頼朝はこういった関係を武士たちと築き、やがて平家を滅ぼすのだった。

「御恩と奉公」はのちに崩れてしまい、主君と武士たちの力関係のバランスも変わっていくが、「土地を分け与えることで支配する」という封建制度は、この後長く日本の社会に根付くことになる。リターンを生む土地は昔から大きな価値を持ち、人々の運命を変えてきたのだ。