喜代子の1日は、夫との朝食から始まる。
メニューは焼いた食パンとゆで卵、葉物野菜のサラダ。夫婦2人の年金暮らしは、決して派手なものではない。しかし喜代子には最近、新しい楽しみができていた。
「あなた、今日は午前中に買い物済ませてくるわ。昼から莉乃ちゃんと電話する約束なの」
「またスマホか」
「そう、ビデオ通話。顔を見て話せるから、普通の電話よりずっといいのよ」
喜代子はそう言って、食卓の端に置いた真新しいスマホへ目をやった。
スマホを手にした喜代子
きっかけは、息子の隆二の家に遊びに行った際、嫁の里美が見せてくれた1枚の写真だった。孫の莉乃が保育園で作った紙の冠をかぶり、嬉しそうに笑っている。隆二が定期的に現像してくれる写真の中には入っていなかったものだ。
「私もスマホにするわ」
「わざわざ写真のためにか」
夫は笑ったが、喜代子は真剣だった。
先にスマホデビューを果たした友人たちに教わりながら、文字の打ち方、写真の保存の仕方、スタンプや絵文字の出し方まで、少しずつ覚えていった。隆二や里美も面倒がらずに、メッセージを送る練習に付き合ってくれた。やがて喜代子は近所の友人たちとも、SNSでつながるようになった。
最初は他人の投稿を見るのみだったが、ある日庭の鉢植えの写真を載せると、「きれいに咲きましたね」と反応があった。たったそれだけのコメントで、不思議と心が浮き立つような気分になった。以来、季節の花や夕飯の献立など、日常のちょっとした出来事を投稿するのが習慣になっている。
「最近楽しそうだな」
「そうね。直接会ったり電話したりしなくても、お友だちと交流できるのが便利なの。あなたもやってみる?」
「いや、俺には向かん」
午後になると、約束通り里美からビデオ通話がかかってきた。画面の向こうで莉乃が手を振っている。
「おばあちゃん。莉乃、見える?」
「ちゃんと見えてるわよ。莉乃ちゃん、今日は何してたの?」
「今日はね、運動会の練習したんだよ」
電話を切ってしばらくすると、里美から短い動画が送られてきた。
莉乃が一生懸命腕を振って踊っている。運動会の練習らしい。喜代子は思わず頬をゆるめた。
「動画ありがとう。莉乃ちゃん、ダンスとっても上手。運動会が楽しみです」
メッセージを送信すると、すぐに里美から返信が届いた。
「莉乃も、お義母さんたちが来てくれるの楽しみにしています」
続けて表示されたスタンプを見ながら、喜代子は口角を上げてスマホを握りしめた。
