心ここにあらずの日々
「水谷さん、最近ほんとに元気ないですね」
「心ここにあらず、って感じだね」
会社でも、ぼんやりする時間が増えた。同僚や後輩が心配そうに声をかけてくる。
「大丈夫だよ。ちょっと寝不足なだけだから」
「無理しないでくださいね」
「ほら、チョコあげる。疲れてるときは甘いものに限るよ」
「……うん、ありがとう」
その気づかいが、今の早和子にはまぶしかった。誰かを傷つける言葉を面白がって積み上げていた自分と、目の前にある穏やかな日常とが、うまくつながらなかった。
アカウント停止から1カ月ほどたった夜、郵便受けに厚みのある封筒が入っていた。
差出人を見た瞬間、早和子の指先はこわばった。部屋に戻って封を切ると、内容証明の文面が目に飛び込んでくる。削除要請、謝罪文の掲載、名誉棄損による損害賠償請求。覚悟していたはずなのに、現実になった途端、呼吸が浅くなった。
「……ほんとに来るんだ」
封筒を机に置いたまま、早和子は長く息を吐いた。
怖かったのは請求だけではない。
アカウントが消えたあと、自分の中に何も残っていないことのほうが、ずっと痛かった。
誰かに認められたかった。自分は作品を作る側だと思いたかった。
制作会社を辞めてから蓋をしていたその気持ちを、早和子はようやく認めた。
アニメーターにはなれなかった。それでも、何かを作ることまで嫌いになったわけではなかったのだ。
「また、描いてみようかな」
きちんと償いをしたあとなら、また何かを作れるかもしれないと思った。
数日後、早和子は帰宅途中に小さなペンタブレットを買った。
最初は簡単なカットや、SNS用の小さなイラストを描くだけだった。それでも、線を引き、色を置き、1枚ずつ形にしていく作業には、AIで動画を量産していたときとは違う達成感があった。
「ふっ、やっぱり下手になってるなあ」
夜更けの部屋には、パソコンの明かりだけが淡く広がっていた。モニターの中では、描きかけの人物の輪郭が白い画面に浮かび、ペン先が触れるたび、少しずつ命が吹き込まれていった。
※複数の事例から着想を得たフィクションです。実在の人物や団体などとは関係ありません。
