成長した娘

1歳になる前に別れた花は、もう9歳になっている。小学3年生と言えば、きっとランドセル姿もずいぶん板についたはずだし、九九だって諳んじられるようになっただろう。

だがその全てを佳世は手放して生きてきた。ずっと自分のことで手一杯だった。だから今更になって母親を名乗る資格はなかったし、会って抱きしめていい理由もない。だがたとえ温情だとしても、大吾たちがくれた機会は佳世にとってかけがえのないものだ。きっと、これから先の人生でどんな苦しいことがあっても前を見て生きていけると思えるくらいに、尊いものだ。

日曜日、これまで無欠勤だった仕事を初めて休み、佳世は送られてきた住所へ向かった。

閑静な住宅街だった。どの家も大きく、家族で暮らしていることが分かるように大きめのファミリーカーやいくつかの自転車が家の前の駐車スペースに置かれている。庭や玄関先の植生はほどよく手入れをされていて、紫陽花や百日草やラベンダーが咲いている。

胸の奥に痛みを感じながら、佳世はひょっとするとこれらすべてが自分のものだったかもしれないことに思いを馳せた。けれど意味はなかった。起きたことは起きたことでしかなく、それを否定するということは花が生まれたことを否定することでもあった。それだけはしてはならないと思った。

やがて佳世は立ち止まった。視線の先には、佳世のかつての苗字がアルファベットで彫られた表札の、柔らかなグレーの一軒家が建っていた。

佳世はスマホで時間を確認する。少し早く着きすぎてしまったらしく、まだ12時50分になったばかりだった。佳世は電信柱に寄りかかり、あまり不審に思われないようにスマホをいじって13時を待った。そして――。

窓が開き、フェンスで仕切られた庭に艶やかな茶色い毛を揺らしながらミニチュアダックスフンドが飛び出した。ミニチュアダックスフンドは急ブレーキをかけて庭の真ん中で止まると、窓のほうを振り返って楽しげにほえた。

「もう、コタロウってば、いきなり飛び出したらだめって言ってるのに」