あんたさっき、ずいぶんと偉そうなこと言ってましたよね?

社員との交流を、とテーブルを順繰りに回っていた松井の肩に、いきなり腕を回したのが真也だった。この時点ですでににぎわっていた卓はぴたっと静まり返り、気まずい空気がまん延していたことは言うまでもない。そしてもちろん真也がそのことに気づけるはずもないことも。

「松井さん、あんたさっき、ずいぶんと偉そうなこと言ってましたよね? 何でしたっけ? そう、あれあれ、あれですよ。社員は家族、でしたっけ? ちゃんちゃらおかしいでしょ!」

真也はジョッキのビールをあおり、店員を呼びつけておかわりを注文する。空になったジョッキを握ったままマイクに見立て、「どんなお気持ちでの発言なんれすか!」と回らないろれつで松井に詰め寄る。

「ぼかぁね、知ってるんれんすよ。この会社は詭弁(きべん)だらけらってね! ねえ、分かってんれしょ? ねえ、松井さんってばぁ」

「君、少し飲みすぎだ」

 松井は口元に押し付けられる空のジョッキを手でどかし、真也の腕を肩から外す。

「はぁ? 飲まなきゃやってらんねえすよ。それにね、そうやって、ごまかすのがこの御社の悪いところれあります! ……あ、痛」

 勢いよく敬礼した真也は手に持っていたジョッキを自分の額にぶつける。

「おい、瀬戸、いい加減にしろ」

「松井さん、すいません」

 同じテーブルの同僚たちがフォローに入り、代わりに頭を下げてくれる。しかし松井から真也を引き離そうとする同僚たちに、真也はあらがってみせる。

「いいれすか、松井。社員は家族なんて、うそこいてんじゃないよ。覚えてないのか? 俺の、俺の尊敬する山下先輩が、どんだけ大変な思いして、このクソ会社を辞めなきゃいけなかったか。覚えてねえとは言わせねえぞ、このやろー」

 山下というのは、真也がまだ営業部にいたころ、指導役として面倒を見てくれた先輩社員だ。営業成績もよく、社内外の信頼も厚かった彼女はいわゆるバリキャリと呼ばれるタイプの人だった。

 しかしそんな彼女が妊娠したことをきっかけに、これまでの貢献などなかったかのように会社は手のひらを返した。産休と育休でおよそ2年、職場へ戻ってきた彼女に社内での居場所はなくなっていた。膨大な量の業務が山積みになっているなか、彼女が残業を断ったり子供が体調を崩して急きょ保育園に迎えに行かなければならなくなったりすれば、容赦なく白い目が向けられた。

おそらくただ1人、真也だけが最大限彼女をサポートしようとしていたように思う。しかしそんな折に人事部への異動が告げられ、山下は間もなく会社を去った。

それがたった6年前の出来事。そしてその6年前、営業部を指揮していたのが松井だった。

だから許せるはずがなかった。そんな男性優位思想の権化のような男である松井が「社員は家族」などと、歯の浮くようなセリフを堂々とのたまい、称賛されていることが我慢ならなかった。

「おい、瀬戸やめろ」

「もうお前、黙っとけ」

 しかし、松井につかみかかろうとした真也は、あっけなく同僚たちに羽交い絞めにされた。もみくちゃにされるなかで、ほんの一瞬山下の姿が思い浮かんだが、すぐに消えていった。