日本に最も早いタイミングで運用拠点を設けたフィデリティ
フィデリティは、外資系の運用会社の中で、日本に最も早い時期に運用拠点を開設した。「誠実、忠実」という意味を持つ言葉が社名になっており、お客様の健全な金融資産形成のため誠実に業務を遂行するとともに、資産を忠実に運用するという思いも込められているという。
米フィデリティ・インベストメンツ(1946年に米ボストンで創業)が東京オフィスを開設したのは1969年。あのアポロ11号が人類初の月面着陸に成功した年にあたる。この年の内閣総理大臣は、「非核三原則(持たない、つくらない、持ち込ませない)」で後にノーベル平和賞を受賞する佐藤栄作氏だ。「いざなぎ景気(1965年~70年)」と呼ばれる空前の好景気を生み出したことでも知られ、当時は、テレビ放送が急速に浸透し、手塚治虫・石ノ森章太郎・藤子不二雄などの漫画を原作としたアニメがヒットし、美空ひばり・石原裕次郎らの流行歌が流れていた。国内で証券会社から分離され、投資信託委託会社(資産運用会社)が初めて設立された1959年から10年後のことだった。
フィデリティが東京にオフィスを構えた頃、当然、インターネットもテレビ会議もなく、日米間の平日3分間の通話料金が約1,500円という時代だった。当時の菓子パンが20円~30円、コカ・コーラが35円、トヨタのカローラが約50万円の時代なので、3分間の通話料がいかに高額だったかがわかる。その当時に、日本を販売や資金調達の市場としてではなく、運用の拠点を置く場として選んだのは、それだけ、当時の日本の経済や企業の成長に強い確信を持っていたということだろう。この歴史的な決断は、日本株式を投資対象としたアクティブ運用の投資信託で残高が最大級の「フィデリティ・日本成長株・ファンド」として現在にも通じている。
フィデリティは、米国以外の国際部門として1973年に「フィデリティ・インターナショナル」(主要拠点は、英ロンドン)を設立し、東京事務所は1980年にフィデリティ・インターナショナルの傘下に入った。そして、1986年に「フィデリティ投資顧問」として日本の機関投資家向けに運用業務を始め、現在のように個人向けの投資信託を組成・運用する証券投資信託委託業務免許を取得し「フィデリティ投信」に社名変更したのは1995年だ。その年の12月に、第1号投信「フィデリティ・ジャパン・オープン」を設定している。この「フィデリティ・ジャパン・オープン」は1999年に、国内追加型投資信託の純資産総額でトップになる。そして、1998年4月に設定された「フィデリティ・日本成長株・ファンド」は、2004年に日本株式の追加型株式投資信託で純資産総額がトップに立つ。今でも、海外株式を一部(マザーファンドベースで約6%)組み入れている「ひふみプラス」を除くと、日本株で運用するアクティブ投信のトップの残高を誇っている。
フィデリティについて、「米国発の独立系運用会社」、「アクティブ投信の運用で世界的に知られる運用会社の1つ」ということは知っている人が多いが、その運用の特性について知っているだろうか? そもそも運用会社の投資哲学(運用において最も重視していること)や運用の特徴は、どこまで理解されているのだろう? たとえば、フィデリティの運用の特徴を語る際に「ボトムアップ・アプローチ」という言葉が必ず出てくる。一般に、「トップダウン」に対して「ボトムアップ」という使い分けがある。運用担当者が経済見通し、産業動向や金利、為替、その他の市場の変化を分析し、将来有望な業種を絞り、その中から最も成長性のある銘柄を選ぶのが「トップダウン」、反対に、「ボトムアップ」は、個々の企業調査がベースとなって、特に優れた企業や大きく業績が好転する見込みのある企業などの情報を持ち寄って運用ポートフォリオを作っていくのが「ボトムアップ」だ。「ボトムアップ・アプローチ」とは、一般的な運用手法の1つになっている。「フィデリティのボトムアップ」には、他とどんな違いがあるのだろうか?