へそくりをめぐる夫婦の対立
「ただいま」
夕方、玄関の鍵が回る音がした。買い物袋の擦れる音に続いて、真里の明るい声が廊下に響く。
「すごく混んでて疲れちゃった」
「おかえり」
「珍しい。書類なんて見てたの?」
真里はコートを脱ぎかけたところで、テーブルの通帳に気づき、表情が明らかに固まった。
「……それ、どうしたの」
「固定費を見直そうと思って書類ケース探してたら出てきた」
「勝手に見たの?」
「聞きたいのはこっちだ。これは何だ」
悟志が通帳を指先で押さえると、真里は少し黙ってから答えた。
「私の口座」
「見ればわかる。なんで黙ってた」
「黙ってたというか、言ってなかっただけ」
「同じことだろ」
思ったより低い声が出た。
真里の眉が寄る。
「私のパート代と、節約して余った分を入れてただけよ」
「俺の給料も入ってるんだろ」
「入ってるよ。でも、使わずに残したのは私でしょ」
「だったら隠さず俺に話すべきだったんじゃないのか」
「何で? 毎月頑張ってやりくりして、残した分だよ」
淡々とした口調。だが、真里のその態度がかえって悟志をいら立たせた。
「俺に黙ってこんなに貯め込んでおいて、何とも思わないのか」
「思わないわよ。いざというときのために取っておいたんだから」
「いざというときって何だよ」
「家族に何かあったときのためよ。わかるでしょ」
悟志はすぐには言い返せなかった。けれど、引く気にもなれなかった。
「家の金なら、なおさらだろ」
「勝手に、じゃない。私が節約して浮かせたお金なんだから、どう使おうと私の勝手でしょ」
その一言で、空気がはっきり変わった。
悟志は通帳から手を離し、テーブルの上に置いた。
「もういい。勝手にしろ」
「そのつもりよ」
照明だけが白々と明るく、目の奥に突き刺さる。キッチンで夕食の支度を始めた真里の後ろ姿を、悟志は居心地悪く眺めていた。
