従業員用の更衣室で、冴子はエプロンを外し、割り当てられたロッカーの扉を閉めた。スーパーマーケットでの立ち仕事を終えたばかりの脚は重く、ふくらはぎに鈍い疲れが残っている。
「大山さん、お先に」
「おつかれさまです」
家計に悩む冴子
年末に向けて賑わう売り場で、卵と豆腐、それから見切り品の小松菜を買い、足早に店を出た。大した量ではないのに、擦り切れたエコバッグの持ち手がやけに指へ食い込んだ。アパートに戻り、階段を上って部屋の鍵を開ける。
「ただいま」
返事はない。一人娘の未来は、まだ大学から帰っていないらしかった。
コートを脱いで買い物袋を台所に置き、朝食で使ったマグカップと小皿を流しへ寄せる。蛇口をひねると水はひどく冷たく、指先がすぐにこわばった。
「痛っ」
給湯器の温度を上げようとして、途中でやめる。
今月のガス代が、頭の隅をかすめたからだ。
事業に失敗した夫が数百万もの借金を残して死んだのは、今から10年近く前のこと。
よく言えば楽観的な自由人で、生前から振り回されることが多かった。シングルマザーとなった冴子は、いくつも仕事を掛け持ちしながら未来を育てた。借金は少しずつ減っているものの、いまだ完済のメドは立たない。
冴子が無意識にため息をついたそのとき、玄関の前で足音が止まり、続いてドアノブが回る音がした。
「ただいま」
「おかえり。今日は遅かったね」
「うん、今日はゼミの先生に卒論見てもらってたの。そろそろ大詰めだから」
そう言って弾むように笑う未来は、現在大学4年生。無事に内定をもらい、春から地元企業への就職が決まっている。連日卒論とバイトで疲れているはずなのに、彼女の声は明るい。
「ご飯、すぐできるよ」
「荷物置いたら手伝うよ」
「ありがとう」
居間の隅にうずたかく積まれた教材は、どれも日焼けして色褪せたり、角が白く擦れたりしている。
一体誰に似たのか、未来は小さいころから勉強が好きだ。図書館で借りた本を飽きもせず読みふけり、わからないことは自分で調べていた。大学は奨学金を使って、地元の国公立に入ったものの、本当はもっと別の進路があったのではと思わずにはいられない。進学後も未来には我慢ばかりさせている。
「あ、今日は小松菜?」
未来が台所に来て、冴子の手元をのぞき込む。
「うん。安かったから」
「じゃあ、半分は味噌汁にしようか」
「そうしようか」
何でもないやり取りのあと、冴子は冷蔵庫に貼ったカレンダーへ目を向けた。
年が明ければ、あっという間に卒業式。そろそろ袴の予約をしなければならない。22歳の春は一生に一度きりだ。しかし、頭に真っ先に浮かぶのは、レンタル料のことだった。
延々と込み上げてくる不安を断ち切るように、冴子は小松菜を刻み続けた。
