治療完了後の意外な変化
洗面所の棚は、以前とは比べ物にならないほど整然としていた。
新しい歯ブラシが2本、フロス、歯間ブラシにフッ素ジェル。小型の砂時計まで置いてある。何より驚きなのは、これを並べたのが自分だという事実だ。悦に浸っていると、三奈が背後から覗いた。
「何? その装備」
「俺、今日で治療最後だったじゃん? で、歯科衛生士さんに教えてもらったんだ。正しい歯の磨き方」
「それで、いろいろ買ってきたんだ。ていうか、この歯ブラシ、ちっちゃくない?」
「よく気づいたな、三奈。これは、小さめヘッドかつやわらかめのプロ仕様歯ブラシだ。ちゃんと三奈の分もある」
「じゃ、私も磨こうかな」
歯ブラシを手に取った三奈を見て、大輔は、つい口を挟んでしまう。
「その持ち方だと力が入る。もっと軽く、ペンを持つように」
「……こう?」
大輔は鏡の前で歯ブラシを持ち、教わったばかりの手順をなぞるようにまくし立てた。
「ブラシは、歯に対して45度が基本。歯と歯ぐきの境目に斜めに当てるのがコツだ。強く押し付けずに、小刻みに動かす。時間も適当じゃなく、2分測れって」
「へえ……だから砂時計……」
「あと、奥歯の内側が弱いってさ」
いつの間にか三奈の口がぽかんと開いていた。呆れられているのは薄々気づいていたが、大輔は止まらない。
「フロスも毎日。歯間ブラシはサイズが合わないと逆に痛めるって。それから、このフッ素ジェルは寝る前に塗ることで——」
真新しい容器を得意げに手に取ったところで、三奈が片眉を上げた。
「大輔さ」
「なに」
「急に変わり過ぎじゃない? 虫歯に憑りつかれたみたいで怖いんだけど」
彼女は鏡越しに大輔を見たまま、歯ブラシを口に入れて言う。
「俺みたいになるの、嫌だろ」
「嫌だけど、私の口の中まで管理しないで」
「……分かったよ」
大輔はフッ素ジェルを棚に戻した。整然と並べた道具を前に、ふと思いついたことを口にする。
「……虫歯は退治したんだから、どちらかというと憑りつかれていたのは、今までの俺のほうじゃないか」
「そうだね。虫歯は祓ったけど、今度は歯ブラシに憑りつかれてる」
三奈が泡を吐き、口をゆすぐ。
顔を上げた彼女と鏡越しに目が合い、どちらからともなく小さく笑った。
大輔は砂時計をひっくり返し、落ちる砂を見ながら自分の歯を磨き始めた。
