教育環境を整えるのは親の務め
その日の晩、昼間とは打って変わり、リビングには一美のため息が重く漂っていた。テーブルには、私立小学校のパンフレットが積み重なり、いずれも一美が念入りに読み込んだ跡が残っている。彼女の視線は、その中でも誰もが知る校名が刻まれたパンフレットに釘付けだった。
「美織にはここが合うと思うの」
一美は向かいに座る康にそう告げた。視線はパンフレットの上から動かない。康は一瞬だけそこに視線を移したが、すぐに深いため息をついた。
「またその話か。美織はまだ4歳だよ。本人が何をしたいのかも分かっていないのに、受験なんてしなくても」
「でもこの前、幼稚園で会った陽太くんのお母さんが言ってたの。『今の時代、良い教育環境を整えるのは親の務めだ』って。それで陽太くん、ここに合格したんだよ」
パンフレットを人差し指で叩きながら一美が力を込めて言った。康は眉をひそめ、苛立ちを抑えたような口調で答えた。
「俺たちは俺たちだからさ。美織が本当に望んでいることを考えようよ」
だからこそじゃないの、と言おうとしたが、康が話を切り上げるように立ち上がり、「おやすみ」とだけ残して寝室へ行ってしまった。一美は消化不良のまま、先日幼稚園であった出来事を思い出していた。
「美織ちゃんは、どこの学校に行きたいの?」
ひとつ上の年長さんである陽太の母親にそう尋ねられたとき、美織は、「陽太くんと同じところ!」と笑って言った。一人っ子で人見知りである美織に、男児で唯一優しい接し方をしてくれるのが陽太だった。そんな陽太のことが大好きで、彼の進む道なら安心だという、美織にしてみればそれだけの理由だったにすぎない。だが美織のその深い意味を持たない発言が、一美の心に火をつけた。