年末の冷え込む午後、換気のために2階の寝室の窓を開け放つ。冷たい空気に肩をすぼませながら、春子はクローゼットの整理をする。収納ケースがかぶっているほこりを雑巾でふき取り、いるものといらないものを選別していく。
ふいに、クローゼットの奥には隠すように黒い布をかぶせてある段ボール箱が目に入る。胸のうちに湧いたざわつきを気づかなかったことにして、春子は拭き掃除を続ける。もう10年もたっているのに、まだこんなにも心をかき乱される自分にうんざりした。
「また少し増えたみたいだな……」
声がして振り返ると、窓を拭いていた夫の修司が手を止めて外の様子をじっと見ている。春子がとなりへ行くと、思わず顔をしかめたくなるような、もうすっかり慣れてしまった日常風景が見える。
道路を挟んだ向かいの家。かつてきれいな芝で覆われていた庭には無数のゴミ袋が積み上げられ、今や見る影もない。家具の一部と思われる木片、壊れた自転車、さびついた金属の塊――。それらがブロック塀の高さを越え、隣家に崩れかかりそうになっていた。
いわゆる「ゴミ屋敷」だ。
向かいの家の主は、志村和世という独居老人。関係が良好だったころに、本人から焼け跡世代だと聞いた覚えがあるため、おそらく現在は80歳を超えているはずだ。
そんな彼女の姿は、最近ほとんど見かけることがない。どうやら外に出るのは必要最低限の買い物のときだけで、月の大半はあのゴミ屋敷の中で過ごしているらしい。
あの家の中でたった1人、彼女はどんなふうに過ごしているのだろうか。
「……あのままだと火事になりかねないな。冬は特に乾燥するから危ないし」
「そうね」
外から見る限り、敷地内にはダンボールや新聞紙といった紙ゴミも多い。火がつけば一気に燃え広がるだろう。万が一、和世の家で火災が起きれば、近隣にも甚大な被害が及ぶ可能性がある。
「どうにかならないのかな……」
春子のつぶやきに、夫は肩をすくめて言った。
「いい加減役所が動いてくれるといいんだけどな」
「そうねえ……」
夫の言葉に、春子は曖昧にうなずくだけだった。
行政代執行によるゴミの撤去費用は、1回200万円前後かかる場合もあると言われている。しかしそれだけの費用を投入しても、家主が改心せず、数年後にはゴミ屋敷に逆戻りしてしまうケースもあるらしい。役所としては、どうしても慎重にならざるを得ないのだろう。
視線は再びゴミ屋敷へと向かう。
冷たい風が吹きつけ、庭に積み上げられたゴミの隙間から、乾いた音が響いていた。
それはどこか不吉な響きに感じられ、春子は思わず身震いした。
「もうひと頑張りしてお茶にしよ」
心の中に立ち込めた暗雲を振り払うように、春子は夫に声をかけた。
しかし、言葉にできない不安は、どこか根深く胸に張り付いているようだった。