すべては娘と孫のため

「……お母さん、ずっと掃除してなかったの?」

真子は静かに母に問いかけたが、答えはすぐには返ってこなかった。しばらくして善子は少し困ったような表情を浮かべながら、小さな声で答えた。

「ええ……そうね。最近ちょっと疲れやすくなってしまって、なかなか手がつけられなかったのよ」

きれい好きだった母が部屋の掃除もできないほど弱りきっていたことに、なぜもっと早く気づかなかったのか。真子は後悔とともに、強い罪悪感にさいなまれた。

善子を居間の座椅子に座らせると、真子はキッチンへと歩みを進め、冷蔵庫の扉を開けた。家事のままならない善子のために、食事でも作っておこうと思ったのだ。だが、真子は冷蔵庫の中身を見て、再びショックを受けた。冷蔵庫はほとんど空っぽで、わずかに残っていたのは古くなった食材ばかり。まだ暑さはしぶとく続いているにも関わらず、麦茶さえ入っていなかった。これでは熱中症で倒れるのも当然だ。

「お母さん、どうしてこんな生活を……? 困ってるなら、どうして私に言ってくれなかったの?」

真子の声には、つい母を責めるような響きが含まれてしまった。善子は少しうつむき加減で、答えに困っているようだったが、やがて、ゆっくりとした口調で語り始めた。

「あなたとりんに余計な負担をかけたくなかったの。だけど……少し無理をしてしまったかもしれないわね」

それからぽつりぽつりと語られた内容に、真子は胸が締め付けられる思いがした。

真子たちと離れて暮らす善子は、1人で極端な節約生活を送っていた。夏の炎天下でもエアコンをつけず、食費を抑えるためほとんど買い物にも行かない。辛うじて口にする食事も、一汁一菜の質素なものだったという。

善子の壮絶な生活を聞いた真子は、がくぜんとした。実家は持ち家だから家賃負担はないし、68歳の善子は亡くなった夫の遺族年金を受け取っているはずだ。自分の年金と合わせれば、普通に生活していくことはできるだろう。真子には、善子がそこまで生活水準を落とさなくてはならない理由が分からなかった。

「どうしてそこまで切り詰めてたの……? 2人分の年金と、お父さんの保険金もあるのに……」

「うーん、それはそうなんだけど……」

口ごもった善子を問い詰めると、真子の想像以上に厳しい現実が明らかになった。夫の死後、善子がもらっていた年金は自分の分と合わせても総額11万円程度。善子の生活は、生活費だけでいっぱいいっぱいだったのだ。

「相談してよ……」

頭を抱えてつぶやいた真子に、善子は首を横に振る。

「ダメよ、そんなの。それに、あたしのことなんかより、あなたたちの将来のために、少しでも財産を残しておきたかったのよ。1人で子供を育てる大変さは誰より分かってるつもりだから……」

「だから、お父さんの保険金にも手をつけなかったの……? 私たちのために……?」

善子は極限まで自分の生活を削って、娘と孫のために尽くしていたのだ。真子はその事実に打ちのめされると同時に、母の偉大さを改めて実感した。

「お母さん、私たちのためにそこまで無理しないでほしい。これからは、私たちが支える番だから。だから、もう1人で頑張らないで…….お願い」

真子は母を抱きしめた。頼りがいのあった背中はやせ細り骨ばっていた。