裕樹はリビングのソファに座り、先日発売したばかりのワイヤレスイヤホンが映し出されたスマホの画面を凝視していた。厳しい顔をしていると、隣に座る妻の美織が声をかけてきた。

「どうしたの? なんかあった?」

裕樹は美織にスマホの画面を向けた。

「このイヤホンさ、ノイキャン性能がめちゃくちゃ良くて、しかも音質もかなりバージョンアップされてるみたいなんだよ」

「へえ、こういうのに興味あったんだ」

「興味があったわけじゃないんだけど、今使ってるイヤホンが故障したから買い替えようかと思ってさ」

散歩が趣味の裕樹にとって、イヤホンは欠かせないものだった。

「買わないの?」

「値段がさ……」

機能が充実しているためか、税込みで4万近い。必需品とはいえ、一介のサラリーマンでしかない裕樹にはなかなか手が出せない代物だ。それに、最近はこんな風においそれと出費できない理由もあった。

裕樹は美織の大きくなったお腹にそっと手を添えた。

「今はこんな高価なものを買ってる場合じゃないだろ」

「そうね」

裕樹と美織が結婚したのは8年前で、お互いに20代だった。子どもはいつかできたらいいねくらいに思ってはいたが、不妊治療などをすることもなく、できないならできないでこのまま2人だけで生活していくのも悪くないなと思っていた。

だが半年前に美織から妊娠したと告げられてから、2人の生活は一変した。まだ裕樹には自分が父親になるという実感は湧かないが、徐々に大きくなっていく美織のお腹を意識することで、父親になるんだぞと言い聞かせようとしていた。

「まあイヤホンなんて別に音が聞ければそれでいいんだけどさ」

裕樹が画面を消そうとすると美織が提案をしてきた。

「たばこをやめたら節約になってイヤホンくらい買えるようになるんじゃない?」

裕樹は言葉に詰まった。たしかに、たばこを1日1箱吸ってる裕樹が禁煙したら1カ月で1万7,000円ほどの節約になる。3カ月禁煙すれば、イヤホンは買える計算だ。

しかし裕樹は苦笑いをして否定した。

「それはさすがに無理だよ。上の人とのコミュニケーションもあるし。俺は酒も飲まないからさ」

嘘は言ってないが、本心は少し違う。たばこは気分転換やストレス解消になるのだ。それに今では妊娠している美織に何かと気を遣うことも多いから、たばこを吸う時間は1人になれる貴重な瞬間でもあった。

「別にコミュニケーションなら他でやればいいと思うけど……」

美織は裕樹の言い訳に納得した様子は見せなかった。裕樹はこの話題を続けるのは良くないと思い、「俺、シャワー浴びてこようかな」と明るく言ってソファから立ち上がった。