土曜日の午後、テレビの前のソファに深々と腰を下ろした健也は、連休特集の映像をぼんやり眺めていた。海沿いの温泉地や、新幹線ですぐ行ける観光地が、明るい音楽とともに次々と映し出されていく。
(今年のゴールデンウイークは、春実とどこかへ出かけてもいいかもしれない)
そんなことを思ったのは、この春大学を卒業して就職した娘の葉月が、他県へ引っ越していったことも影響しているのだろう。3人で暮らしていたころには気にも留めなかった静けさが、最近はやけに目立つ。
流し台の前で皿を洗っていた春実が、手を拭きながらふいに振り向いた。
「コーヒー淹れようか」
「ああ、頼む」
健也は気軽に返し、またテレビへ視線を戻した。
近場の温泉でもいいし、少し足を伸ばしてもいい。夫婦2人になった今なら、そんな話をするのも悪くない気がした。
やがて湯が沸く音が止み、春実がマグカップを1つテーブルに置いた。
「どうぞ」
「ありがと」
キッチンへ戻った春実はそのまま食器を拭き、棚に戻し、台ふきんをたたむ。しばらくして、春実がリビングに戻り、ソファの端に腰を下ろした。
春実が切り出した"卒業"
「なあ、春実。今年の連休――」
だが、その先を言う前に、春実が口を開いた。
「葉月も卒業したし、私も卒業しようと思うの」
健也は、すぐには意味がわからなかった。耳に残ったのは、卒業、という単語だけだった。
「……何を?」
「妻を」
直後、1枚の紙切れがテーブルの上に置かれた。
離婚届だ。
健也は思わず身を起こした。
「ちょっと待て。いきなり何の話だよ」
「離婚したいって話」
「いや、だから、何でそうなるんだ」
語気が自然と強くなる。だが春実はまったくと言っていいほど表情を変えなかった。
「急に何を言い出すんだよ。そんな話、今まで一度もなかっただろ」
「私は前から考えてた」
健也は書類を見つめたまま、頭の中で理由を探した。借金や浮気の経験はもちろん、大きなケンカをした覚えもない。共働きだから寂しい思いをさせたかもしれないが、家族には愛情を持って接してきたつもりだ。多少の行き違いはあったとしても、夫婦として20年以上支え合ってきた。少なくとも、離婚を切り出されるような心当たりはない。
「意味がわからない。俺、何かしたか」
「そういうところなんだと思う」
春実はそれ以上、何も説明しなかった。
